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微男微女

ジェンダーやセクシュアリティについての考察

シリアルキラー展での体験と感想

シリアルキラー展に行ってきた。

シリアルキラーとは、ざっくりいうと連続殺人犯のこと。

シリアルキラーたちが描いた絵などの作品や手紙といった、様々なコレクションが公開されていた。

 

そこでの体験や感想をいくつか書いていく。

 

1:作者を知っているからこその作品

正直、作品自体は、想像していたよりもグロくなかったし、不気味でもなかった。

ただ、作者がシリアルキラーであるということが、不気味だった。

1枚だけ飾ってある絵を、何も知らない状態で見たら、「ふ~ん」で終わりそうな絵。

でも、作者を知っていて、いくつも作品を見ると、どこかちょっと不気味な感じがする。

そんな作品だった。

 

一緒に行った友人は「俺たちとは見えている世界が違うんだろうな」と言っていた。

人間1人1人、見えている世界は違うと思うけれど、シリアルキラーの場合は、世界の見え方、感覚が、“異常”なほど大きく異なっているのかもしれない。

 

2:コレクターは何者!?

コレクターHNさんは、何者なんだろう。

シリアルキラーより、むしろHNさんに興味を持った。

シリアルキラーと文通したり、電話したりと、交流があるらしい。

直接会って作品を受け取ったこともあるようだ。

多くのシリアルキラーたちと繋がっていること、そして多くの作品等を集めるほど深くハマっていることが、ただただすごいと思う。

シリアルキラーに興味を持つ人は、何人もいる。

でも、実際に本人と繋がろうと思い、行動に移せる人はなかなかいない。

単なる好奇心だけではない『何か』がHNさんの中にあるのだろうか。

私はシリアルキラーではなく、HNさんに会ってみたい。

 

3:身体に異変が

感想というより、体験。

最後の最後、あと残り1作品というところで、立っていられなくなった。

頭がクラクラし、視界がおかしくなった。

管理室らしき所で少し休ませてもらった。

視界がぼやけて周囲がチカチカして見え、手が真っ白になって痺れていた。

友人曰く、顔も真っ白で血の気が引いていたとのこと。

(ご迷惑をおかけし、すみません……)

 

正直、作品自体にほとんど衝撃は受けなかったし、あまり嫌な気持ちにもならなかったし、むしろ無心に近い状態で見ていたと思うので、不思議だ。

感受性も、強い方ではないと思っている。

気持ちはほとんど影響を受けていないのに、身体だけが影響を受けたのだろうか。

めったに貧血にならない(中学生以来だと思う)ので、本当に不思議だ。

身体に異変が起きたことに、あまり納得できていないが、事実は否定できないからモヤモヤする。

 

一緒に行った友人も、それぞれに感じるものはあったようだ。

(誘ってくれてありがとう!)

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「名前があること」で自分を客観視する

久しぶりにブログを書く。

今日たまたま新発見をしたので、そのことについて。

 

「ナンバーフォーム」という言葉。

聞いたことがあるだろうか。

私は、今日初めて知った。

訳あって共感覚について調べていたらこの言葉に出会った。

 

共感覚」とはWikipediaによると、

 

ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。

 

とのこと。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

 

文字に色を感じる人がいる。

共感覚という名前が付いている。

このことは知っていた。

 

不思議なことがあるものだな~と思っていた。

でも私にそのような感覚はない。

だから、それ以上詳しく知ろうとは思っていなかった。

 

ただ、今日たまたま共感覚について調べるきっかけがあった。

調べていたところ、「ナンバーフォーム」という言葉を発見をしたのだ。

 

ナンバーフォームとは何か。

数字と空間的なイメージがリンクしている。

数字が空間に配置されている。

こういう感覚のこと??

たぶん。

 

空間に数字の「位置」がある感じ。 

 

自分にとっては小さい頃から当たり前の感覚。

だから何の疑問も抱いていなかった。

こういう感覚が他の人にはないのだとしたら・・・・・・

他の人はどのように数字を捉えているのだろうか

すごく不思議だ。

 

そしてこの件で思ったもう1つのこと。

それは「名前がある」ことの大切さ。

名前が付けられているから、その現象について知ることができる。

 

私は自分がバイセクシュアルであることに「バイセクシュアル」という言葉を知ってから気づいた。

好きな人を好きであるという気持ちは自分にとっては当たり前のこと。

だから、それを疑うことはなかった。

他の人は同性を好きにならないことが多いらしい、と考えることはなかった。

「ただその人のことが好きである」としか思っていなかった。

でも、「バイセクシュアル」という言葉を知ってからは、同性を好きになることがあることを客観視できるようになった。

 

自分にとって当たり前のことを、自分だけで気づくことは難しい。

そこで、「名前」が効果を発揮する。

名前があると、気づくことができる。

名前が、客観視のきっかけとなる。

 

今回のナンバーフォームも、私にとっては当たり前の感覚だから、疑うこともなかったし、誰かに確認することもなかった。

ただ、数字とはそうやって把握するものだと思っていた。

いや、思うことすらしていない。

ただ、そういうもの、という自分にとっての事実があるだけだった。

 

だから、今回ナンバーフォームという言葉を知ったときは衝撃を受けた。

言葉を知って、初めて自分の感覚を客観視することができた。

 

ただ、ナンバーフォームに関する情報が足りていない。 

もっと知りたいので、何か知っている人がいたら教えて下さい!!!

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「男なら泣くな」って言うな!

先日、大学のセクシュアルマイノリティーサークルの忘年会にお邪魔させてもらった。

そのとき、「身体の性別が女だからって、女の子扱いされるのは嫌!」という話になった。

 

わかる。

私も“女”扱いされるとモヤっとする。

“女だから”という理由で優しくされると、優しさを素直に受け取れない時がある。

 

「優しくする」=良いこと

こんな構図が自分の中にあるせいか、優しさを素直に受け取れない自分がなんだか嫌な人に思えたりして、少し悲しくなったりもする。

 

近くに座っていた女の人がこう言った。

「モヤっとするのは、結局男尊女卑だからだよ」

 

確かにそれは理由の1つとしてあると思う。

女を下に見ているからこそ、「優しくして“あげる”」。

そんな男も中にはいるのだろう。

 

でも、そうじゃない人もきっと大勢いる。

そんな人の親切心も素直に受け取れない時がある。

それは私が“女”扱いをされたくないのは、男尊女卑だからではなく、自分が女であることを認めたくないからだと思う。

自分が女であることを完全に受けいれることができない。

だからモヤっとするのだ。

 

一方、男が“男”扱いされて嫌なこともある。

近くにいたゲイ数人に聞いてみた。

すると、こんな回答が返ってきた。

 

「『男なら泣くな』と言われるのが嫌!」

(それは嫌だろうなぁ・・・・・・)

 

「男だって泣くし!」

(ですよね・・・・・・)

 

「泣く」=女って誰が決めたんだろう。

 

女が泣けば「女だから泣けば許されると思ってるんだろ」と言われ、男が泣けば「男のくせに泣くのかよ」と言われる。

 

人間だから泣く、じゃダメなの?

 

小さなモヤモヤが、日常にはいっぱいある。

そのモヤモヤをスルーするのではなく、これからもこうやってブログに書いていきたい。

 

以上、今年最後のブログでした~

 

※特に記載がない限り、「男」「女」は身体の性別を表しています。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

性別を知ると安心するのはなぜだろう

見知らぬ人と2人きりで会う約束をすることがある。

共通の知人もいない、本当に知らない人。

今日も見知らぬ人と待ち合わせ、男装バーに行ってきた。

 

待ち合わせた相手の本名も年齢も(当然顔も)知らない。

ただ性別が男だということだけわかっていた。

 

男だということを知ったとき、なぜかすごく安心した。

それは相手が男だからではない。

女でも安心したと思う。

「性別を知った」ことに安心したのだ。

 

なぜ性別を知ると安心できるのだろう。

 

見知らぬ人と2人で会う約束は、今回以外に3回したことがある。

 

1回目は起業家だった。

大学1年生のとき、社会問題に興味があれば一緒に話しましょうと言われ、会いにいった。

理由はもちろん、社会問題に興味があったからだ。

事前に教えてもらった情報は、本名と電話番号とメールアドレスだった。

本名から、性別はたぶん男だろうと思った。

実際、男だった。

 

2回目に会ったのは忍者好きな女の子。

私が忍者好きだということを知り、会いたいと言われた。

忍者友達ができたらいいなと思い、会いに行った。

こちらのケースは、本名は知らなかったけれど、事前のメッセージのやりとりで、性別はなんとなく想像できた。

 

3回目の相手は正体不明の男の人。

仮名から、性別はたぶん男だと思った。

一緒に面白いことをするための話し合いが目的で会いに行った。

 

名前を知ることより、名前から性別がわかることのほうが重要だった。

なぜだろう。

別に相手の性別が何であろうと会うことには変わりないし、

相手の性別を事前に知ることで何かが変わるわけでもない。

 

それでも、見知らぬ人に2人で会うことになったとき、「性別」を知ると安心するということは、自分にとって「性別」は相手の持っている様々な情報の中で重要な要素なんだなと思い知らされる。

 

そんな自分が少し悔しいけれど、実際そうなんだから仕方ない。

気づけただけ、良かった。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

暗黙の男サイドと女サイドがある会議室

久しぶりにブログを更新する。

 

会社で会議があった。

その会議に参加するのは数回目(5回にも満たない)。

 

集合時間より少し前に会議室に着いた。

私より先に着いている人もいて、左側に座っていた。

全員女だった。

 

あとから人が増えることを考え、私はすいている右側に座った。

 

開始時間が近づくにつれ、人が増えていく。

ある先輩が会議室に入って私を見た途端、こう言った。

「なんで右側に座っているの?」

「えっ? 座る席って決まっているんでしたっけ?」

「いや、決まってはいないけどさ」

左側に既に先輩が座っていらっしゃったのでこちら側を選びました」

 

会議後、詳しく聞いてみた。

どうやら、右側は男、左側は女が座るような習慣があるらしい。

 

習慣というより、たぶん「なんとなくそうしている」程度のもので、別にそれに従わなかったら何か問題があるのかといえばそんなことはない。

先輩も笑いながら「なんでそっちに座るの?」と言っていただけで、注意するという雰囲気ではなかった。

だから問題はない。

 

ただ、一つ気になることがある。

それは会議に参加するメンバーの男女比だ。

2:1くらいで女の方が多い。

 

これは、左右で座る人数に偏りが出るということを意味する。

「同じくらいの人数で座ったほうが聞きやすくない?」という単純な疑問が浮かぶ。

 

次も“男サイド”に座ろっかな~

 

※ブログでは特に記載がない場合、身体の性別で「男」「女」を使っています。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「男をたてるべき」というアドバイス

先輩Aとサシで飲んだ。

 

私には(人として)大好きな先輩Bがいる。

大好きな先輩Bともっと良い関係性を築くためのアドバイスをもらった。

 

A「Bさんは男なんだから、矢野ちゃん(※私のこと)はもっとBさんをたてた方がいいよ」

私「えー!? 私、そういうのできないです」

A「男をたてることを覚えたほうがいいよ」

私「男をたてなきゃいけないんですか?」

A「そう、あとね、矢野ちゃんも男っぽいところあるけど、女でしょ?」

私「生物としては女です」

A「女の子なんだから、もっと女を出したほうがいいよ」

私「それはもっと無理です」

A「いやいや、せっかくなんだから女を利用しなきゃ。Bさんも男なんだから、矢野ちゃんが女を出したら嬉しいと思うよ」

 

冗談交じりの会話だったし、お酒も回ってきた頃だったから、どこまで本気で言っているのかはわからなかった。

 

でも、私の価値観とは違うな、という思いはずっと残った。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

結婚圧力はどこへ消えたのだろう

シルバーウィークに帰省した。

大学生の時から上京しており、帰省の度に「彼氏できた?」「早く結婚してね」と言われ続けていた。

 

今回はカミングアウトをしてから初の帰省。

セクシュアリティについて何か言われるかな、と少しドキドキしながら実家に行った。

 

結論から言うと、恋愛のことも結婚のことも、何も言われなかった。

 

主に仕事の話をした。

たくさん話した後、両親と私の3人でこんな流れになった。

母「仕事楽しいみたいでよかった」

私「本当に楽しい」

母「他に聞いておこうって言ってたことがあったよね、なんだっけ」

父「あったね、なんだったかな」

私「今思い出せないならあとでLINEとかで質問すればいいじゃん」

 

この時、もしかしたらセクシュアリティ関係のことを聞きたかったのかもしれない。

それを察した私は少し怖くなって逃げてしまった。

 

従姉妹の結婚が決まったこともあり、親戚の結婚の話になった時もあった。

その時も、私の結婚については何も言われなかった。

 

両親が何を思っているのかはわからない。

それでも、カミングアウトをした結果だということだけはわかる。

 

帰省の度に結婚圧力をかけられていたことを思うと、私の心の負担は軽くなった。

でも両親はどうなんだろう。

私の心の負担が軽くなった分、両親の心の負担は重くなったのかもしれない。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)