微男微女

日常の考察

結婚圧力はどこへ消えたのだろう

シルバーウィークに帰省した。

大学生の時から上京しており、帰省の度に「彼氏できた?」「早く結婚してね」と言われ続けていた。

 

今回はカミングアウトをしてから初の帰省。

セクシュアリティについて何か言われるかな、と少しドキドキしながら実家に行った。

 

結論から言うと、恋愛のことも結婚のことも、何も言われなかった。

 

主に仕事の話をした。

たくさん話した後、両親と私の3人でこんな流れになった。

母「仕事楽しいみたいでよかった」

私「本当に楽しい」

母「他に聞いておこうって言ってたことがあったよね、なんだっけ」

父「あったね、なんだったかな」

私「今思い出せないならあとでLINEとかで質問すればいいじゃん」

 

この時、もしかしたらセクシュアリティ関係のことを聞きたかったのかもしれない。

それを察した私は少し怖くなって逃げてしまった。

 

従姉妹の結婚が決まったこともあり、親戚の結婚の話になった時もあった。

その時も、私の結婚については何も言われなかった。

 

両親が何を思っているのかはわからない。

それでも、カミングアウトをした結果だということだけはわかる。

 

帰省の度に結婚圧力をかけられていたことを思うと、私の心の負担は軽くなった。

でも両親はどうなんだろう。

私の心の負担が軽くなった分、両親の心の負担は重くなったのかもしれない。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「LGBって何?身近にいないから遠い存在に感じてしまう」

弁護士の先生方と一緒に飲む機会があった。

先生うちの1人が私たちに質問した。

「大学では何を研究していたの?」

 

同期の1人が答えた。

「LGBの自殺についてです」

 

「LGBって何?」

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの略です」

「そうなんだ。矢野さん(※私のこと)は何を研究していたの?」

「同性愛者のカミングアウトについてです」

「2人とも珍しい領域だけど深いことをやっているんだね」

 

その後、先生はこう言った。

「身近にいないから遠い存在に感じてしまうなぁ。君たちは身近にいるの?」

「私自身がそうです」

「そうだったんだね。僕が男だからかな、女の子にそうだと言われても受け止められるけれど、男だとちょっと抵抗感があるかもしれない」

 

(悪い意味ではなく)正直な先生だと思った。

 

その時、同期が付け加えた。

「身近にゲイの人、いますよ」

 

先生は「そっか。僕たちの世代はそういうことが今よりもタブー視されていたなぁ。」

 

文字だけの情報だと先生の言葉に反発する人もいるかもしれないが、先生は決して私たちを否定せず、全てを受け入れてくれ、知らないことは知ろうとしてくれ、常にあたたく接してくれた。

 

こういうコミュニケーションができる人に、私もなりたい。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

 

 

 

育児休暇をとるのは怖い

会社の先輩2人が私の近くで雑談していた。

「そのお菓子おいしそうですね」

「うん」

「家に帰ったら夜ご飯も食べるんですか」

「そうだよ」

「奥さんの手料理ですか? いいですね~」

 

楽しそうに話していたので私も質問をしてみた。

「先輩の奥様は専業主婦なんですか」

「違うよ」

「お仕事されているんですね」

「今は育児休暇をとっているけど、数ヵ月後に職場に復帰する予定」

「へえ。先輩は育児休暇とらないんですか」

「怖くてとれないよ~」

 

育児休暇をとるのが「怖い」。

そんな社会。

 

「なんで怖いんですか」

理由を聞いてみた。

 

「やっぱり周りの目とかあるしね。もっと上の役職に就いたらとりやすいかもしれないけど。あ、でも上の役職になったらなったで、責任ある仕事も増えるだろうし、逆にとりにくくなるのかも。」

 

制度があるだけで、取得率が低いことはずいぶん前から指摘されている。

だからこういう現状は知っていたはずだった。

でも知識として知っているのと、その現実に直面している人の生の声を聞くのでは違う。

ショックだった。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

職場の雑談

金曜日の夜。

会社の先輩(男)と雑談した。

 

「今日は早く帰ろうかな」

「金曜日の夜ですもんね。何するんですか」

「一人打ち上げをする。ここ数日頭を悩ませていた問題が解決したからね」

「“一人”打ち上げですか」

「そう。1000~2000円で美味しいお酒と料理を楽しめるし、誰にも気をつかわなくていいから、誰かと行くより満足度が高いこともあるよ」

「いいですね」

「矢野ちゃん(※私のこと)は?」

「私は早めに帰ります」

「いつも平日の夜、何してるの?テレビないんでしょ」

You Tube見たり、漫画読んだり、ですかね」

「なるほど、テレビの代わりにYou Tubeってことか」

「はい。先輩はテレビよく見るんですか」

「見るよ」

「誰が好きなんですか」

「女で?」

「私が性別を限定するわけないじゃないですか(笑)」

「あはは!矢野ちゃんが言うと違う意味に聞こえるわ(笑)」

 

楽しい雑談だった。

こういうことをさらっと言えるのは、ありがたい。

恵まれた環境だと思う。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「女は子宮で考える」ってどういう意味?

昨晩、大学の仲間が集まり、新宿ですき焼きを食べた。

集まったのは私を含めて4人。

1人は大学で勉強中。

3人は社会人1年目。

 

入社した会社はどう?という話にもなった。

新入社員という立場上、理不尽なことをやらされることもあるよね、などと語り合った。

 

仲間の1人が次のように語っていた。

 

良くも悪くも大企業だな、と実感する。

「いつの時代の価値観!?」と思うこともある。

昭和の価値観を持った人もいるんだなって。

「女は子宮で考える」と言った先輩(男)もいた。

何の疑問も抱かずにこんなこと言えるなんてある意味すごい。

こんなにわかりやすいセクハラ発言を堂々とするなんて。

 

セクハラの話は他の人からも何度か聞いたことがある。

その度に残念な気持ちになる。

 

これまでに聞いたセクハラの話には共通点があった。

それは、会社内で比較的上の立場にある人が、下の立場にある人に対してセクハラをしているということ。

逆パターンは今のところ聞いていない。

(社会人1年目だから、当然と言えば当然なんだけどね。)

 

下の立場だと、やはりセクハラだと思っても言いづらいらしい。

泣き寝入りする、笑顔(?)で受け流す、適当に合わせる、といった対応をしている人が多いようだ。

 

だからセクハラがなくならないのだろうか。

 

権力を持った人のセクハラはタチが悪い。

 

 

 

帰宅して、ふと思った。

子宮で考えるってどういう意味だろう。

 

Googleで調べてみた。

様々な解釈があるらしく、よくわからなかった。

文脈にもよると思う。

 

誰が最初に言った言葉で、どういう意味で言ったのか、知っている人がいたら教えてください!

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「俺らは虹色だから」

10月に会社で内定者歓迎会がある。

その出し物を新入社員である私たちが担当する。

 

毎年男女に分かれて1曲ずつ踊ったりしているらしい。

最初は例年通り、男女に分かれて踊ろうという話になっていた。

 

ところが先日の打ち合わせで同期の男が言った。

「男女に分けるのはやめよう」

 

「男だから」「女だから」このグループでこの曲を踊る、と決める必要はあるのか、という疑問が投げかけられた。

性別関係なく一緒にやればいいんじゃないの、という提案でもあった。

 

反対する人は1人もいなかった。

 

「男女に分ける意味ないしな」

 

「俺らは虹色だから」

 

こんな発言してくれた同期もいた。

 

嬉しくて泣きそうになった。

 

虹の意味を知った上で、私たちは虹色だと言ってくれた。

それがすごく嬉しかった。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

運動会のMVP、評価されたのは性別なのか

先日、会社の運動会が開催された。

玉入れや綱引き、選抜リレーなど、様々な種目があった。

 

その中の1つが障害物リレー。

ぐるぐるバットをしたり、健康サンダルを履いたりしながら走る。

三輪車に乗るというコーナーもあった。

 

ただ、三輪車は1周目で壊れてしまった。

2周目からは三輪車から手押し車に変更。

 

三輪車より手押し車の方が筋力を必要とする。

そのためか、多くのチームが競技参加者を男に変更した。

結果として手押し車をした女は1人だけだった。

 

運動会の閉会式で、優勝チームとMVPが発表された。

MVPは男と女それぞれ1人ずつ選ばれる。

男はぐるぐるバットで派手に転びながらも必死に走り続けた人が選ばれた。

女は手押し車の唯一の女参加者が選ばれた。

 

「女」が参加したことが評価されたのだろうか。

男だったらMVPではなかった。

 

平均的に女は男より筋力がない。

筋力がないカテゴリーの人が筋力を必要とする競技に参加したことが評価されたということなのか。

 

スポーツでは、男と女を分けて考えることが多い。

オリンピックもそうだ。

体のつくりが異なるからだろう。

 

だから、手押し車を性別で評価することは間違ってはいないのかもしれない。

それでも個人の動きが評価された男と、参加したこと自体が評価された女を比べてしまい、もやっとしてしまう。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

 

厳密に言うとバイセクシュアルではない

ライブバーで隣に座っていた女が言った。

「私、セクシュアルマイノリティと言っていいのかよくわからないんです」

「どうしてですか」

「一応、シスジェンダーのパンセクシュアルだと言っているんですけど」

「はい」

「男の体しか好きにならないんです」

 

男の体で、心は女だという人もいる。

そういう人を好きになる可能性はある。

 

そういう人も対象に含むという意味でパンセクシュアルだと言っているらしい。

でもほとんどセクシュアルマジョリティと変わらないため、セクシュアルマイノリティだと言うのは憚られるとのことだ。

 

私も厳密に言うとパンセクシュアルだ。

でも、「パンセクシュアル」という概念も言葉もあまり認知されていない。

バイセクシュアルの方がはるかに広く認知されている。

だからバイセクシュアルだと言っている。

 

要は説明するのが面倒なのだ。

(伝わりやすい方がいい、という思いもあるが)

 

こういう態度を批判する人もいるだろう。

それでも私は、しばらくはバイセクシュアルだと言うと思う。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

カミングアウトしたことを両親はどう思っているのだろう

両親にカミングアウトしたのは2015年4月12日。

3ヶ月以上前のことだ。

 

両親はカミングアウトされるまでは私がバイセクシュアルだとは知らなかったと言っていた。

だからカミングアウトしたとき、ものすごく驚いていた。

 

カミングアウトした翌日に、好きなタイプを聞かれた。

それ以降は、セクシュアリティに関して何も言われていない。

 

何も言われないし、何も聞かれないのは、特に何とも思っていないからだろうか。

実は聞きたいことがあっても聞きにくくて聞けないだけかもしれない。

あるいは受け入れられなくて考えないようにしているだけかもしれない。(カミングアウトしたときの反応を思い出す限り、たぶん受け入れてくれていると思うけれど。)

 

「カミングアウトは、したら終わりではない。したらそれで終わり、ではあまりに無責任だ」という声を聞くことがある。

私はまさに「したらそれで終わり」状態。

 

両親が何とも思っていないのであればそれでも問題はない。

だがその確認さえしていない。

 

こちらから話を切り出してみた方がいいのだとは思うが、それにはカミングアウトと同じくらい勇気がいる。

 

正直なところ、聞ける自信はない。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

セクシュアルマイノリティという概念を疑う

今日会った人がおもしろいことを言っていた。

 

セクシュアルマイノリティという概念は信じられない」

「なんでですか」

「そもそもヘテロセクシュアルがマジョリティだとは思わない」

「なんでですか」

ヘテロセクシュアルだと思っている人でも、それはこれまで好きになった人がたまたま異性だっただけで、今後もずっとそうだとは言い切れない」

「もちろん、その可能性は排除できないですが」

「だからヘテロセクシュアルがマジョリティだとは言い切れない」

 

これに対して私は2つの観点から反論した。

1点目。

ヘテロセクシュアルだと思っている人のうち、たしかに今後異性以外を好きになることがある人もいるかもしれない。

セクシュアリティはグラデーションとか言われているし)

でも、それを合わせてもヘテロセクシュアルが多数派でなくなるとは考えにくい。

 

2点目。

マジョリティは人数が多いという意味もあるが、社会的に優位な立場にあるという意味もある。

だから今の社会ではたとえ人数が少なくなったとしてもヘテロセクシュアルはマジョリティだと思う。

(これに対しては、「ではなぜセクシュアルマイノリティを性的“少数者”と訳すのか」と言われた。私は「それは和訳した人に聞いてください」と答えた。)

 

主張に納得はしていない。

でもおもしろい。

おもしろいけれど、「そんなこと言ったら、今後誰がどうなるかなんて誰もわからないのだから、あらゆる概念を疑わなければならなくなるのでは?」とも思う。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)