微男微女

日常の考察

私たちは常に性別を認識している

(2015/3/31のブログ)

 

「男か女かわからない人」に出会ったことはある?
 私はある。
ここで言う「男か女かわからない人」とは、「女装している男」や「ボーイッシュな(あるいは男装した)女」ではない。
この場合、前者は男、後者は女だと性別がわかる。
そうではなく、本当に性別がわからない、強いて言うならば中性的な人のことだ。

 

私は「男か女かわからない人」に出会うと、なんだか落ち着かない気分になる。
その人のことが気になってしまい、失礼だとは思いながらも、性別に確信が持てるようになるまでその人を観察してしまう。
「男」あるいは「女」の特徴を見つけ出すのだ。
例えば胸のふくらみや喉仏の有無、声の高低など。
そして性別が判明すると、なんとなく安心している自分がいる。

 

私たち人間は、生まれたときから現在に至るまで、「男」「女」という二元論を徹底的に刷り込まれている。
そのため、誰かに会ったらまず、無意識のうちにその人の性別を判断する。
そして、その性別をふまえた上でその人に接している。
「人間を性別によって判断したくはないし、相手の性別によって態度を変えることはしない!」という人でも、相手の性別を認識せずに会話をしたことはほとんどないだろう。
それほど自然におこなわれていることなのだ。

 

だからこそ、「男か女かわからない人」に出会うと、私は落ち着かない気分になる。
それと同時に、いかに性別にとらわれて生きてきたか、また、そのことに無自覚であったかを認識させられる。
さらに言うと、このような認識をした上でもなお、新たに人に出会うたびに、意識的か無意識的かにかかわらず、「性別」を探し続けてしまう。

 

刷り込まれたことを覆すのは、ものすごく難しい。

 

ではまた!

きゅうり(矢野友理)