微男微女

日常の考察

「私」「俺」への抵抗感

(2015/5/3のブログ)

 

一人称について。
「“俺”とは言えない」
「“俺”はしっくりこない」

 

このようなことをつぶやいていた知人が複数名いる。
(全員セクシュアルマイノリティ

 

私も“私”には抵抗感がある。
今でこそ自然に言えるようになったが、以前は自分の名前が一人称だった。
(今でもプライベートでは自分の名前が一人称)

 

社会的には良くないらしいので、仕方なく“私”を使っている。
使っているうちに慣れてきた。

 

なぜ“私”という一人称に抵抗感があるのか。

 

男でも“私”は使う。
それでも、女が使うことの方が多い。
私は“私”に女を感じ取っていた。

 

“私”と言うと、自分が女であることを含めて自分を指している気がしてしまう。
「私は」は「女である自分は」と言っているような気がしてしまうのだ。

 

一人称への抵抗感。
1:性自認と関係しているのか。
2:社会が押し付ける男性性や女性性への反発か。
3:それとも別の理由だろうか。

 

私の場合、1と2が当てはまる。
他の人はどうなんだろう?

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)