セクシュアルマイノリティコミュニティのアライ
(2015/6/1のブログ)
昨日、一昨日と合宿があった。
2大学のセクシュアルマイノリティ(※以下「セクマイ」と略す)サークルの合同合宿。
サークルによっては、セクマイ当事者以外の人が参加することもある。
セクマイが生きやすい社会になるように応援してくれる、
セクマイではない人のことを「アライ」と呼ぶ。
合宿2日目。
セクマイの就活について語っていたときのこと。
話し相手になってくれていた人(女)が言った。
「今更ですが、私アライなんです。
すみません、なかなか言うタイミングがなくて」
「そうなんだ。知らなかった。
てっきりセクマイ当事者かと」
疑問に思ったことを聞いてみた。
「さっき別の人に聞いたよ。
セクマイじゃない人もサークルにいるかどうか。
その人は当事者しかいないって言っていた。
知らなかったのかな?」
「全員にアライだと言っているわけではないです。
でも私がアライだと知っている人も多いと思います。
当事者しかいないと言った人は、私のことを守ろうとしてくれたのかもしれません」
“守る”という言葉。
守られる存在であるということは、攻撃する人がいる(可能性がある)ということ。
アライがサークルに入ることを快く思わない人がいると想定しているのだろう。
実際、サークルにアライの人は入ってほしくないという人もいる。
UT-toposもセクマイ当事者のみのサークルである。
リスクを考慮した上での運営方針だ。
ゲイの知人が言っていた。
「アライの人はアライだと最初に言ってほしい。
言ってくれないと、セクマイだと思ってしまう。
タイプの人だったら、あとで知ってガッカリするし。
それに、こちらはカミングアウトしているのと同じ状況だから、アライならアライだと言うのが誠実な態度だと思う。」
これは一理ある意見。
一方でアライの人がアライだと言いづらい気持ちも理解できる。
実際、彼女はセクマイの人たちばかりの中で、「アライです」と切り出すのは難しいと言っていた。
私はアライの人が参加してくれて嬉しかったし、
アライだと言ってくれて嬉しかった。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)