微男微女

日常の考察

マイノリティは「リスク」

入社前、「フェイスブックで内定者紹介の記事を書きたいから」といくつか質問された。

その中に、大学時代に何をしたか、という質問があった。

 

私は「同性愛者のカミングアウト」というテーマで卒業論文を書いた。

「UT-topos」という東大のセクシュアルマイノリティサークルに所属していた。

その事実を回答の一部に書いた。

 

会社からNGだと言われた。

 

自分の意見・主張は盛り込んでいない。

ただ、事実を書いただけだ。

言葉も慎重に選び、表現に気をつけた。

それでもNGだった。

 

会社の見解としては問題ない。

それでも、社外の人で快く思わない人がいるかもしれない。

だからやめてほしい。

 

そんなようなことを言われた。

 

入社してからのこと。

社内に、私のセクシュアリティに関する噂が広がっている。

社内の人に不快なことを言われたことは一度もない。

 

ただ、上司が「社外の人に言うと、快く思わない人もいるかもしれないから、話すときは気をつけてほしい」と少し心配しているらしい、という話を別の人から聞いた。

上司自身は何とも思っていないが、社外の人にどんな考えの人がいるかわからないから、会社にとって不利益になるようなことはしないでほしいということだろう。

 

もちろん、同性愛に関する話題を持ち出すことのリスクは充分すぎるほど理解している。(大学時代、ずっと向き合ってきたことだし。)

だから安易に言うことはない。

それに、そもそもプライベートな話にはなかなかならないと思う。

 

これら2つの出来事から思ったこと。

それは、ありがたいことに、社内はオープンにしやすい環境であること。

一方で、会社である以上、「お客様」からお金をもらってビジネスを成り立たせる必要があるため、「お客様」がどう思うかを大事にしているということ。

 

その「お客様」が同性愛に関してどう思うかはわからない。

わからないけれど、社会に同性愛を快く思わない人が一定数いる以上、「お客様」の中にも快く思わない人がいる可能性は否定できない。

 

同性愛を快く思わない「お客様」がいる可能性があるなら、同性愛に関する話題を持ち出すことは「リスク」である。

事前にわかっているリスクは、避けられるものなら避けたい。

無難な話題でいけばいい。

民間の企業がそう思うのは当然のことかもしれない。

 

マイノリティは「リスク」だと、改めて痛感した。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)