微男微女

日常の考察

一緒にお風呂に入りたくない人

(2015/4/6のブログ)

 

「同性愛について質問したいことがたくさんあるから会ってほしい」
会社の同期(男)から連絡がきた。
私が自己紹介のときに「同性愛者のカミングアウト」というタイトルで卒業論文を書いたと言ったからだ。

 

居酒屋でガチトーク。
質問や意見がたくさん出てきた。
そのうちの1つがお風呂のことだった。

 

「ゲイと一緒にお風呂に入りたくない」
(そっか)
「性的な目で見られるのは嫌」
(そういう目で見る人もいるかもね。そうじゃない人もいるけどね)

 

「同性愛者はずるい」
(そんなこと言われてもなぁ)
「僕だって女風呂に入りたいのに許されない」

(うん)
「でもレズビアンは許される」
(うーん)
 

人は一緒にお風呂に入ってもいい人とダメな人をどう区別しているのか。
自分を性的な目で見る人とは一緒に入りたくない?
私はそう。
だからゲイと一緒にお風呂に入るのは抵抗がない。
性別に関係なく、自分を性的な目で見る(可能性がある)人と一緒にお風呂に入るのは抵抗がある。

 

ある友人(女)は、ゲイと一緒にお風呂に入るのは抵抗があると言っていた。
私とは別の基準で区別しているのだろう。

上述の男は女風呂に入りたいと言った。
単に女の裸を見たいだけだと思う。
でも、女に性的な目で見られる立場でもある。
それに関して抵抗はないのか、疑問だ。

 

男は見る主体。
女は見られる客体。
こう捉えているのかもしれない。

 

多くのお風呂は、「男」「女」で区別されている。
多くの人が抵抗を感じにくい区別が「男」「女」だからなのだろう。

 

合理的な気がする。
でも、いろんな人がいる。
全員が納得する社会をつくることは難しい。
難しいけれど、改善していくことはできる。
改善を繰り返していくしかない。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)