微男微女

日常の考察

異性愛者がマイノリティになる瞬間

(2015/4/13のブログ)

 

面白いツイートを発見。
島田暁さん(@Akira_Shimada)がこんなことをつぶやいていた。

 

僕は「マイノリティ」をあえて積極的に使ってます。マイノリティとマジョリティの線引きは、観点を変えればいかようにも変化する。日本に生きる日本国籍者なのでマジョリティだし、男性なのでマジョリティ。しかし同性愛者という意味ではマイノリティ。でも、シスジェンダーという意味でマジョリティ。


「マイノリティ」とは少数派という意味ではなく「放っておいたら構造的に抑圧されがちな立場のこと」と聞いてから納得して使ってます。自分はマジョリティとマイノリティどちらに属するかは、場や人間関係を変えるとしょっちゅう変化します。ゲイはセクシュアルマイノリティの中ではマジョリティだし。

 

マジョリティはマジョリティであることに気づきにくい。
右利きの人が多い日本社会では右利きであることをあまり意識しない。
日本語を話す人が多い日本社会では日本語を話していることをあまり意識しない。

 

異性愛者は異性愛者であることをあまり意識しない。
同性愛者は同性愛者であることを意識せざるをえない。
マジョリティとは違うから、自分がマイノリティであると自覚する。

 

東京大学にはUT-toposというセクシュアルマイノリティサークルがある。
私は大学1年のときからこのサークルに所属していた。

 

所属メンバーの8~9割がゲイ(男性同性愛者)。
世間でマイノリティのゲイは、このサークルではマジョリティになる。
レズビアントランスジェンダーなど、ゲイ以外のセクシュアリティの人は、マイノリティサークルの中でもマイノリティである。

 

サークルに所属できるのは原則としてセクシュアルマイノリティ当事者のみ。
サークルが設立されて間もない頃はルールが確立していなかった。
そのため、シスジェンダー異性愛者が参加することもあった。
その異性愛者は、サークルの自己紹介のときに、こう言っていた。
「僕はセクシュアルマイノリティではないのですが、参加させていただいています。」

 

サークルでは、異性愛者はマイノリティになる。
参加者=セクシュアルマイノリティだと皆が思っている。
だから、セクシュアルマイノリティではないセクシュアルマジョリティが参加するときは、「セクシュアルマイノリティではない」と“カミングアウト”することになる。


マイノリティとマジョリティが逆転する現象は面白い。

 

周囲の人とは違って自分だけが異性愛者であるという感覚。
普段はなかなか味わえないと思う。
同性愛者が異性愛社会で感じている感覚と全く同じではないが、近い感覚ではないだろうか。

 

セクシュアルマイノリティは同性愛者だけではないため、セクシュアルマジョリティを異性愛者と表現することは、厳密に言うと適切ではないかもしれないが、わかりやすくするために異性愛者と表現した。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)