微男微女

日常の考察

「女心がわからなくてごめんね」

飲み会で男の先輩に言われた。

「ごめんね。俺、女心わかんないから」

 

「いえ、大丈夫です」

私が大丈夫だと言ったのは、「女心がわかっていなくても気にしないですよ」という意味ではない。

「女心をわかってもらう必要性を感じていない」ということを言いたかったのだ。

言葉足らずで先輩にはたぶん伝わっていないけれど。

 

そもそも女心とはどんな心なのか。

 

先輩は「女心がわからないから、女の子にも仕事で厳しいことを言っちゃうんだよね」というようなことを言っていた。

相手の性別が女であるということが理由で、厳しく言わなければならないところで厳しく言えないというのはおかしい。

 

「女に厳しく言わない」ことが「女心がわかる」こととイコールなら、そんな女心をわかってほしいとは思わないし、わからないでほしいとも思う。

 

これは以前書いた「女は甘やかされるのか」というブログにも通ずる話だ。

 

甘やかす、厳しくする、といった性別とは関係ないはずの話が、なぜか仕事上で性別と結び付けられることがある。

そんなことに違和感を抱きながら、仕事をしている。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

エリア職希望者の95%は女

就活している友人に聞いてみた。

「どこに行きたいの」

「金融かな」

「そうなんだ」

「うん。エリア職を1年経験してから総合職に就きたい」

「そんなこと、できるの」

「できるって説明されたよ」

「じゃあまずはエリア職に就けるといいね」

「うん。でもエリア職希望者の95%くらいは女だから、男の僕が通るのは厳しいかもしれない」

 

この話を聞いて、以前ブログにも書いた、「女だから一般職だと思った」と言われたという総合職の同期を思い出した。

一般職とエリア職は違うけれど、女が就くことが多いという点が共通している。

 

男が一般職やエリア職を希望した場合、女よりも落とされやすいのだろうか。

 

別の友人が、エリア職を希望していた男は一次選考で全員落とされた、と言っていた。

それは、偶然なのか、意図的なものなのか。

外部の人間にはわからない。

でも、意図的である可能性はじゅうぶんにある。

 

就活中の友人が(性別が理由で)エリア職に就けない、ということにならないことを願っている。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「女の子に行かせるのはかわいそう」

私に言われたわけではない。

ただ、仕事をしていたら誰かの声が聞こえてきた。

「女の子に行かせるのはかわいそうだよ」

 

おもしろうだと思い、続きの会話も聞いてみた。

 

どうやら、怒鳴られるために行かなければならない場所があるらしい。

その場所に行かせる人を誰にするか決めかねている。

女が怒鳴られるのはかわいそうだから、男にしよう。

こういう内容だったと思う。

 

怒鳴られて嬉しい人はあまりいない。

それは男でも同じだろう。

 

女が怒鳴られるのはかわいそう、という発想になるのなら、男が怒鳴られるのもかわいそうだよね、と思い至るはずなのだが、なぜそこで「男ならいいや。男に行かせよう」となるのだろうか。

 

不思議だ。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

カミングアウトしたときに「どうやってセックスするの?」と質問されることについて

「同性の恋人がいる」

「ゲイ/レズビアンバイセクシュアルだ」

 

このようなカミングアウトをした際の反応としてよくあるのが次の2つ。

「どうやってセックスするの?」

「どっちが男役/女役なの?」

 

こういった反応は批判されることが多い。

「異性の恋人がいる、と言われて、すぐセックスのことを聞くことはあまりないよね。でも同性だとためらいもなく聞くのは失礼じゃない?」

同性愛とセックスの結びつきの強さを批判されることもある。

男役/女役という表現や、役割分担があるという前提になっていることが批判されることもある。

 

これに対して私が思うこと。

批判の主張は納得できる。

その通りだと思う。

でも、質問したくなる気持ちもわかる。

 

だって、異性と付き合うか同性と付き合うかで一番違うのはどこかというと性的な部分が違うわけだし、異性愛者が同性カップルのことで一番わからない/知らないことは性的な部分なわけで。

だからセックスのことを聞きたくなるのは当然だと思う。

 

もちろん、その質問によって相手が不快な思いをするかもしれないことは考えてほしいし、そういう質問をしても許される関係性を築いている仲なのかどうかもちゃんと考えてほしいけれど。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

バイセクシュアルのささやかな特権

 

特権という大袈裟だから、「ささやかな」特権。

 

バイセクシュアルだというと、「2倍楽しめていいね」とはよく言われる。

これも特権と言えば特権だろう。

 

これに関連してもう1つの特権がある。

楽しめるのは現実の恋愛だけではない。

2次元でも同じことが言える。

 

BLも百合も男女の恋愛も楽しめる。

 

私は漫画が好きだ。

BLも読むし、百合漫画も読むし、少女漫画も読む。

どれを読んでも興奮できるのは、バイセクシュアルのささやかな特権。

そうじゃないバイセクシュアルの人もいると思うけれど、私は全部楽しめる。

 

ありがたいことだ。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

もし「男はお菓子2個」と言われたら

会社に個包装されたお菓子がたくさん届いた。

先輩社員がみんなに配っていた。

まずは1人1個。

 

全員に配り終えても数個余っている。

先輩社員はそのうちの1個を私にくれた。

「もう1個あげる。女子だから」

 

女子だから!?

 

不利益を被ったわけではないから、不満はない。

ただ、疑問である。

なぜ女であることが男よりお菓子を多くもらう理由になるのだろう。

 

「女=甘いものが好き」だと思われているからだろうか。

 

もし先輩社員が男に「もう1個あげる。男子だから」と言ってお菓子を渡していたら、なぜ男がお菓子を多くもらうのかと少し不満に思っていたかもしれない。

 

はっきり言ってお菓子の数はどうでもいい。

他の誰かより少なくても、少ないこと自体に不満は抱かない。

ただ、性別を理由にすることに納得がいかないだけだ。

 

こんな小さなことに毎回毎回反発していたらキリがないことはわかっている。

それでも、ジェンダーのことは小さなことでも考えてしまう。

ブログを書いている影響かもしれない。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

 

男と女には役割があり、子どもが生まれる

バイセクシュアルなんだってね」

「はい、そうです」

「彼女いたことあるの」

「ありますよ」

「へぇ!」

 

少し驚いたあと、先輩はこう続けた。

「男と女にはそれぞれ役割があって、子どもができるでしょ。私はそのために結婚しようと思っているけど、そうは思わないの」

 

先輩の質問に対し、私はこう切り出した。

「そう“批判”されることは多いんですけど、・・・・・・。」

 

私の「批判」という言葉に先輩は驚いた顔をしていた。

批判ではない、という顔だった。

私は自分の発した言葉を後悔した。

 

先輩は恋愛感情を抱いたことがない。

それでも子どもを産むという役割を果たしたいから結婚したいと思っている、とのこと。

だから、私がどう思っているのか疑問に思っていただけなのだ。

単なる疑問を批判だと勘違いしてしまった。

 

同性愛を批判する際に、「子孫を残せない」という理由をつける人がいる。

比較的よく耳にする論調だ。

 

だから、男女の役割とか、子どもができないといった話になるだけで、「同性愛の批判だ」と短絡的に考えてしまっていた。

 

反省した日だった。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

マイノリティは「リスク」

入社前、「フェイスブックで内定者紹介の記事を書きたいから」といくつか質問された。

その中に、大学時代に何をしたか、という質問があった。

 

私は「同性愛者のカミングアウト」というテーマで卒業論文を書いた。

「UT-topos」という東大のセクシュアルマイノリティサークルに所属していた。

その事実を回答の一部に書いた。

 

会社からNGだと言われた。

 

自分の意見・主張は盛り込んでいない。

ただ、事実を書いただけだ。

言葉も慎重に選び、表現に気をつけた。

それでもNGだった。

 

会社の見解としては問題ない。

それでも、社外の人で快く思わない人がいるかもしれない。

だからやめてほしい。

 

そんなようなことを言われた。

 

入社してからのこと。

社内に、私のセクシュアリティに関する噂が広がっている。

社内の人に不快なことを言われたことは一度もない。

 

ただ、上司が「社外の人に言うと、快く思わない人もいるかもしれないから、話すときは気をつけてほしい」と少し心配しているらしい、という話を別の人から聞いた。

上司自身は何とも思っていないが、社外の人にどんな考えの人がいるかわからないから、会社にとって不利益になるようなことはしないでほしいということだろう。

 

もちろん、同性愛に関する話題を持ち出すことのリスクは充分すぎるほど理解している。(大学時代、ずっと向き合ってきたことだし。)

だから安易に言うことはない。

それに、そもそもプライベートな話にはなかなかならないと思う。

 

これら2つの出来事から思ったこと。

それは、ありがたいことに、社内はオープンにしやすい環境であること。

一方で、会社である以上、「お客様」からお金をもらってビジネスを成り立たせる必要があるため、「お客様」がどう思うかを大事にしているということ。

 

その「お客様」が同性愛に関してどう思うかはわからない。

わからないけれど、社会に同性愛を快く思わない人が一定数いる以上、「お客様」の中にも快く思わない人がいる可能性は否定できない。

 

同性愛を快く思わない「お客様」がいる可能性があるなら、同性愛に関する話題を持ち出すことは「リスク」である。

事前にわかっているリスクは、避けられるものなら避けたい。

無難な話題でいけばいい。

民間の企業がそう思うのは当然のことかもしれない。

 

マイノリティは「リスク」だと、改めて痛感した。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)

「女は甘やかされる」のか

「甘やかされてるでしょ」

先日、他部署の女の先輩に言われた。

 

以前Twitterにも書いたが、再度考察したい。

先輩の主張はこうだ。

 

私は甘やかされているように見える。

私のいる部署は男が多い。

男が多い部署にいる私(女)は甘やかされている。

 

「うちの部署は女ばかりだから甘やかさないよ」

 

いや、ちょっと待って。

甘やかすとか甘やかさなさいとか、仕事する人をそういうふうにコントロールするものだという考え方があったことにまず驚く。

 

そして仕事と性別を直結させるジェンダーが突然あらわれたことにも驚いた。

 

ただ、一方で先輩の発言は事実を含んでいる。

同期に言われた。

「○○さん(男の先輩)は女の子には甘いらしいよ」

 

私が女だと意識して仕事をしなくても、女であることを利用しなくても、女であるという事実があるだけで甘やかされている可能性があることは否定できないのだ。

 

「結果的に」甘やかされているという事実。

たぶん、私が気づいていない「甘やかされていること」もあるのだと思う。

 

そもそもなぜ「女は甘やかされる」のか。

甘やかす人は男、甘やかされる人は女という構図。

同性を甘やかすことはない、ということも先輩の発言から読み取れる。

 

男が女を甘やかすのは、女は弱いと思っているからかもしれないし、「男は女に優しくするべき」という価値観があるからかもしれないし、下心があるからかもしれないし、他の理由かもしれない。

(実際、どんな理由なのだろう。気になる……)

 

女であることは性転換しない限り変わらない。

どうにもならない。

それなのに「甘やかされているでしょ」と言われることを不快に思う一方、事実でもあるから仕方ないと思う気持ちもある。

 

私は女装している感覚で会社に行っているから、「女装した男だと思って接してくれればいいのに」と思っているけれど、そういうわけにもいかないんだろうな……。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野)

マジョリティが相手なら差別していい、とはならない

セクシュアルマイノリティを守ってくれる人がいる。

誰かが「同性愛は気持ち悪い」と言うと、「それは差別だよ」と言ってくれる人。

 

その人が、同一人物とは思えない発言をしていた。

「男は嫌い。大嫌い」

 

もし私が「女は嫌い」と言われたら、少し不快になっていたかもしれない。

だから、「男は嫌い」という発言を聞いた男の中には少なからず不快に感じた人がいたのではないかと想像する。

 

散々男をけなした後、理由を説明してくれた。

どうやらホモソーシャルが嫌いということらしい。

男が嫌いなのではなく、「男が持ちやすい特徴・関係性」が嫌いということだろう。

 

この説明がなければ、男性差別発言だと思ってしまう。

男性はマジョリティであり、差別される側になることはあまりない。

だからこそ、男性への差別発言は気づかれにくい。

 

社会的強者・マジョリティだからといって差別していいわけではない。

弱者が強者を差別しても良い理由などないのだ。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)