微男微女

日常の考察

同性と付き合う異性愛者は異性愛者なのか

(2015/4/1のブログ)

 

異性愛者の同性と付き合っているレズビアンバイセクシュアルの女性がいる。
異性愛者の同性と付き合っているゲイやバイセクシュアルの男性もいる(たぶん)。
ここでは女性で話を進める。

 

この場合、相手の異性愛者の女性は異性愛者なのだろうか。
異性愛者の人と付き合っている」
と言うけれど、女性どうしで付き合っているのだから、付き合っているという時点で異性愛者とは言えないのではないか。
「同性と付き合っている異性愛者」という表現自体が矛盾している。

 

「だからどうした?」
だからって別に何か問題になるわけではない。
ただ考えてみたくなっただけ。

 

異性愛者だと思われる女性は、女性と付き合っているのだからバイセクシュアル
それとも、男性しか好きにならないはずだけれど、今付き合っている女性だけは特別(例外)ということ?
もし後者なら、バイセクシュアルは、何をもってバイセクシュアルと言うのだろう。

 

こういうことを考えていると「カテゴリーにとらわれている」と感じる。
「所詮はカテゴリー」と開き直った気分にもなる。
わかりやすくするためのカテゴリーのせいでわかりにくくなる。
本末転倒。

 

でもこうやって考えるのも楽しかったりする。
だからこうして文章を書いている。

 

異性愛者だと思っている人で、これまで一回も同性に惹かれたことがない人は、何をもって自分を異性愛者だと思っているのか、ということを考えてみる。
これまでに惹かれた人が異性だったからということが理由になるのなら、過去の経験が現在のセクシュアリティを決めているということになる。
そうなると、同性と(相手を好きになって)付き合うという経験を一度でもしたら異性愛者ではなくなるということなのか。

 

セクシュアリティはグラデーションだと言われている。
私自身もそうだと思っている。
それなのに、こんなこと考えるのは無意味なのだろうか。
いや、カテゴリーが存在している以上、全くの無意味だとも言い切れない。

 

カテゴリーはカテゴリーにすぎない。
そう認識しつつ、うまく使っていけばいいと思う。

 

自分がどのカテゴリーに該当するのかは、自分が決めること。
他人に押し付けられるものではない。

 

どれにも該当しない、でもいい。
コロコロと変わってもいい。
カテゴリーは、自分が生きやすい環境をつくるための道具なのだ。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)