微男微女

日常の考察

思考実験~カメ子の中身が人間だったら~

ペットを飼っている人の多くがそうだと思うのですが、私も例に漏れず毎日カメ子(我が家で飼っているミシシッピニオイガメ)に話しかけています。朝起きたら「おはよう」と挨拶し、出かける前は「そろそろ行ってくるね」と声をかけ、暇さえあれば「かわいいね」と褒め称える、そんな毎日です。

 

カメ子は言葉がわかるはずもないのに、話しかけると近寄ってきてくれます。その姿がかわいくて、余計話しかけたくなります。カメ子を見ているとハッピーな気持ちになります。ただ、ふと、変に妄想が捗って泣きそうになることがあります。どういう妄想かというと、「カメ子の中身が人間だったら」という妄想です。

 

実態はただの妄想なのですが、ここはあえて恰好良く思考実験と言わせてもらいましょう。カメ子の中身がもし人間だったら、という思考実験をすると、かわいそうで泣きたくなります。カメ子は話したくても話すことができず、美味しいご飯も食べられず、自分の意志で外に出かけることもできないまま一生を終えるのです。

 

カメ子は言葉を発することができないので、どれだけ「自分は人間なんだ」と伝えたくても、伝えることができません。もしかしたらカメ子は私に「自分が人間だと気づいてほしい」と必死でアピールしているかもしれません。それなのに私が無視し続けているのだとしたら……。涙が出てきます。でも仮に「もしかしてカメ子は人間なの?」と聞いたとしても、カメ子は返答することができないので、結局どうにもならないのです。

 

「100の思考実験」という本をご存知でしょうか。この本に、ゾンビの話が出てくるのですが、私のカメ子の思考実験に通ずるものがあるので、以下引用します。

 

他人に心があるとなぜわかるのか?

 

ルチアが暮らす街には、あちこちに灯りがついていたが、そこに住んでいるのは人間ではなかった。ルチアはゾンビたちと暮らしていたのだ。

 

薄気味悪く聞こえるだろうが、実際はそうでもない。このゾンビたちは、恐怖映画に出てくるような、死体を喰らう怪物とは違う。見た目も振る舞いもわたしたちと何ひとつ変わらない。生理機能もわたしたちとまったく同じだ。ただし、肝心な違いがひとつあって、それは心がないことだった。もし針で体を刺されたら、「痛っ」と言って顔をしかめるだろうが、彼らは実際には痛みを感じていない。嫌なことをされると、泣いたり怒ったりはするが、心の中に動揺はない。穏やかな音楽を聴かせると、楽しんでいるように見えるが、心の中では何も聴いていない。外側はふつうの人間だが、内側では何も起きていないのだ。

 

それでも、ルチアは彼らと難なく一緒に暮らしている。ルチアのような内面生活が彼らにないことを、たやすく忘れてしまうのだ。というのも、彼らはふつうの人間とまったく同じように話したり振る舞ったりするし、どう感じるとか何を考えているとか言いさえするのだ。この街を訪れる人たちも、何か変わったことがあるとは気づかない。ルチアが秘密を明かしたときも、信じようとしなかった。

 

「あの人たちに心がないって、どうしてわかるのですか?」訪問者たちは尋ねる。

 

「それなら、自分以外の人間に心があるって、どうしてわかるのですか?」とルチアが訊きかえす。すると、相手はたいがい黙ってしまう。

 

 

 

読んでみて、どう思いますか。心があるか、ないか、その証明をすることはできません。カメ子の中身が人間であることを証明できないのと同じです。同様に、カメ子の中身が人間でないこともまた、証明することはできません。私の妄想が妄想なのか、現実なのかは、実は誰にもわからないのです。

 

ある日、あまりにもかわいそうで、カメ子にこう話しかけました。

 

「カメ子、もしカメ子の中身が人間だったら、今すぐ浮き島にのぼってみてよ。言葉は話せないだろうけど、今すぐ浮き島にのぼったら、それが『人間だ』という回答だと思うことにするから」

 

カメ子は、当然、何も聞こえていないかのように、そのまま泳ぎ続けました。これは、カメ子の中身が人間ではないことを証明しているでしょうか。

 

いいえ。

 

英語で話しかけていないのに、反応できるわけがありません。カメ子はアメリカ合衆国出身なのです。

 

 

そろそろ妄想は終わりにしましょう。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)