何をもって「頑張った」と言っているのか?
「今日はガッツリ残業した!」という人は、「頑張った」と言えますか?
長時間労働しただけで、中身が伴っていなければ、ただの時間の浪費ということになり、「頑張った」とは言えない気がしてきますよね。
では、次のケースはどうでしょうか。
突然ですが、私は今日、耳鼻科に行ってきました。鼻と喉に棒を突っ込まれました。痛かったです。涙が出ました。
きっと親しい人に今日の出来事を話したら、「頑張ったね、お疲れ様」と言ってくれるでしょう。
私自身も、頑張ったと思っています。お医者さんに身を任せただけで実態としては何もしていないのですが、たしかに頑張りました。
では、何もしていない私は一体何をもって「頑張った」と言っているのでしょうか。
「頑張る」をGoogleで検索してみると「困難にめげないで我慢してやり抜く」「忍耐して、努力しとおす」といった意味が出てきました。
今回の私の場合だと、「痛みを我慢して、耐えた」という点において「頑張った」と言えなくはない気がします。
ですが、一方で「やり抜く」「努力しとおす」というニュアンスまでは届いていないような、そんな感じがします。
でも、別に問題はありません。
なぜなら、そもそも「やり抜く」ことも「努力しとおす」ことも、ここでは求められていないからです。
治療を受けるという場面で、他に何かできることがあるかというと特に思い浮かばないですし、仕事のように(正しく)努力すれば成果が出るというようなものでもありません。
というわけで、私は今回「頑張った」と言っても良いということにしましょう。
何もしていなくても「頑張った」と言えることもあれば、馬鹿みたいに時間と手間をかけても「頑張った」と言えないこともあるのです。(あくまで主観ですが。)
ではまた!
きゅうり(矢野友理)