微男微女

日常の考察

「何を言うかではなく、誰が言うか」だと言うけれど

よく、「何を言うかではなく、誰が言うか」だと言われますが、これについて思うことがあるので、ブログに書くことにしました。

 

同じ言葉でも、私が言うのとイチローさんが言うのとでは、重みが全然違います。「何を言うのかではなく、誰が言うか」というのは、そういう意味で使われることが多いでしょう。

 

ただ、実は「誰が言うか」というのは諸刃の剣です。言う人によって言葉に重みが増すケースもあれば、逆に仇になるケースもあります。私は、仇になるケースも含めて、「何を言うかではなく、誰が言うか」なのだと考える必要があると思っています。

 

仇になるとはどういうことか、具体的に説明します。

 

私は最近、NiziUにハマっています。有名なのでご存知の方が多いと思いますが、NiziUは、ソニーミュージックとJYPの合同オーディション・プロジェクト「Nizi Project」で1万人から選び抜かれた、9人組のガールズグループです。つまり、オーディションを勝ち抜いた人たちのグループ、サバイバルで生き残った人たちのグループということになります。

 

そんなNiziUのデビュー曲『Step and a step』の歌詞に、こうあります。

 

大丈夫よ そのままで ooh

安心して 遅れてないから

道に迷った時はね

立ち止まってみたら?

take your time, oh yeah

 

Step and step

私の歩幅で

Step and step

私だけのペースで

ゆっくり行ってもいい

休んでみてもいい

歩いていく自分らしく

Just believe yourself

 

この歌詞自体は好きですし、歌詞に込められているメッセージも時代に合っていて特に違和感はありません。ただ、これをNiziUが歌っていることに、違和感を覚えます。

 

だって、「大丈夫よ そのままで」とか「立ち止まってみたら?」とか「ゆっくり行ってもいい」とか「休んでみてもいい」とか言っているんですよ?

 

 

いやいや、あなたたち、立ち止まったら脱落するオーディションを勝ち抜いて今があるじゃないですか!

 

ゆっくり行っていたら、NiziUになれなかったじゃないですか!!

 

そのままでいたら、休んでいたら、夢は叶えられなかったじゃないですか!!!

 

 

一視聴者からすれば、NiziUはその存在自体が「夢を叶えるために毎日死ぬ気で努力しよう」というメッセージ性を帯びています。

 

自分のペースでゆっくり進む、なんてことが許されない環境で競争し勝ち抜いてきた人が「自分のペースでいいんだよ」「ゆっくりでいいんだよ」というメッセージを発する矛盾。オーディションが公開されていて、選抜過程をじっくり観ることができたからこそ、この矛盾が余計気になってしまいます。

 

じゃあ誰がそのメッセージを発すればいいの?

 

そう思いますよね。

 

残念ながら、競争してこなかった人や競争に負けた人が「ゆっくりでいい」というメッセージを発したとして、それに耳を傾ける人はほとんどいないでしょう。基本的に多くの人は、競争に勝った人のメッセージしか受けいれないので、結局のところ、「ゆっくりでいい」というメッセージを発せられるのは、ゆっくり歩んできた人ではなく、NiziUのように競争して勝ってきた人になってしまいます。

 

皮肉なことに、「ゆっくりでいい」というメッセージは、競争してこなかった人や競争に負けた人が言えば誰にも届かず、競争に勝った人が言えば自己矛盾に陥ってしまうのです。

 

 

「ゆっくりでいい」は、「他人のペースにあわせる必要はない」「競争する必要はない」といった意味が込められていると思いますが、これに限らず、何かを「必要ない」と言う時は、同じような自己矛盾に陥ることが多い気がします。

 

たとえば、お金について。お金をあまり稼いでいない人(=お金稼ぎというジャンルで成功していない人)が「お金が全てではない」と言っても、負け惜しみだと思われるでしょう。でも、たくさんお金を稼いだ人が言うと、聞き手は納得してしまいがちです。実際にお金を持ったからこそ見えてくる景色があって、その景色を見た上で「お金が全てではない」と思うに至ったのだろう、と思えるからです。だから、「お金が全てではない」と言う人は、大抵お金を持った人です。

 

似たような話として、福山雅治さんが「売れたことがないのに、売れるのが全てじゃないと言う人がいるけど、売れて初めて見えてくる景色や広がりを知らないでそれを言うのは違うと思う。売れるのが全てじゃないと知るためには、売れなければならない。」というようなことを言っていたと聞いたことがあります。

 

たしかに、と思う自分がいます。

 

でも、一方で、こうも思うのです。実際に身をもって「お金がすべてではない」と証明しているのは、お金を持っていない人ではないか、と。お金を持った人がどれだけ「お金が全てではない」と言ったところで、お金を持った上での発言なので、「本当にお金がすべてではないかどうか」は実のところわからないのではないか、と。矛盾しているのではないか、と。

 

様々な考え方ができると思うので、「おかしい!」と断言するつもりはありません。

 

ただ、いずれにしても、言葉を発信する際は「あなたが言うと説得力がありますね」と思われることもあれば、「それ、あなたが言います?」と思われることもあるということを、常に意識しておきたいものです。

 

 

NiziUの動画を観ながら、そんなことを考えました。

 

あ、ちなみに、どうでもいい話ですが、私はNiziUのリクさんとアヤカさんが好きです。ミイヒさんとリマさんも好きです。というか、全員好きです。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)