モンティ・ホール問題に見せかけたトロッコ問題に見せかけたシュレーディンガーの猫に見せかけた私の問題
その日、私は怪しい覆面の男性に連れられて、ビルの一室に入れられた。そこには20歳前後と思われる男性が1人怯えながら立っていた。
覆面は私を椅子に座らせ、私と男性に話しかけた。
「今から君たちにゲームをしてもらう。女性が出題者、男性が回答者だ。女性は今から渡す紙に書いてある問いを読み上げるように」
覆面の指示通り、私は読み上げた。
「ここに3つの箱があります。中にはクジが入っており、1つはアタリ、2つはハズレです。あなたには1つ箱を選んでいただきます」
男性の目の前にはたしかに箱が3つ置いてあった。男性は少し考えた後、恐る恐る真ん中の箱を指差した。すると、覆面は私に向かってこう言った。
「君にだけアタリの箱を教えよう。その後、君は男性が選んだ箱以外の2つの箱のうち、ハズレの箱1つをオープンにすることができる。オープンにした後、男性は最初に選んだ箱をオープンになっていない箱に変更することができる」
モンティ・ホール問題だ、と私は思った。ネットの記事で読んだことがある。この場合、直感では箱を変更してもしなくても当たる確率は変わらないように思えるが、実際は変更すると当たる確率が2倍になるのだ。
男性に協力しない理由はない。私はハズレの箱をオープンにしようと手を伸ばした。その瞬間、覆面が「そうだ、大事なことを言い忘れていた」と言った。私は慌てて手を引っ込めた。
覆面は話を続けた。
「アタリを引けばこの男性の家族であるAちゃんが救われる。ただしその瞬間、ここにはいない別の人の家族であるBちゃんとCちゃんが命を失う。一方、ハズレを引けばAちゃんは命を失う。ただしBちゃんとCちゃんは助かる。これはそういうゲームだ」
私は考え込んでしまった。他人とはいえ、命がかかっているゲームで安易な選択はできない。逃げ出したい思いに駆られる。しかしここで拒否したら、今度は自分の命が危なくなるだろう。
これはモンティ・ホール問題ではなく、トロッコ問題だ、と思った。私はアタリの箱を知っている。男性が選んだ箱はアタリだ。私が何もしなければ男性は自分の家族の命を救うことができる。でも私がハズレの箱1つをオープンしたら、男性は箱を変更し、当たる確率を上げようとするかもしれない。そうなれば、私はより多くの命を救ったことになる一方で、「わざわざ箱をオープンにしてハズレを選ばせた」ことになる。男性に「家族を殺した」と思われるだろう。
ただ、男性が箱を変更するかどうかはわからない。私が男性の家族を救おうと思っている人なのか、より多くの命を救おうと思っている人なのかによって、私の取るべき行動は変わってくる。そして、それを男性がどう予想するかによって、男性の取るべき行動も変わってくる。
男性の目に私はどう映っているのだろう。目の前にいる人の家族を救う人に見えるだろうか。それともより多くの命を救う人に見えるだろうか。
それを考えたところで、私の意図が読まれたら意味がない。私が多くの命を救おうとして、ハズレの箱をオープンしたとする。でもその意図を男性に読まれていたら、「ハズレの箱をオープンにするということは、自分の選んでいる箱はアタリだ。ハズレならオープンにしないはずだ」と思われ、男性は箱を変更しないかもしれない。
裏をかかれる可能性は否定できないのだ。かと言って裏の裏をかこうとすれば裏の裏の裏をかかれる可能性がある。どうにもならない。
私は何もしないことにした。男性の選んだ箱がアタリでもハズレでも、何もしないのが一番だと思った。このゲームに自分の意志を反映したくなかった。
「私は何もしません」と覆面に告げた。
覆面は「そうか。では、君の役割はここまでだ。君は箱をオープンにしなかったが、男性は箱を変更できる。もちろん、変更しなくても良い。どうするかは、君が部屋を出てから男性に選択してもらう」と言った。
私は命のかかったゲーム部屋から解放され、ビルの外に出た。家に帰る途中、男性が箱を変更したのかどうかが気になった。男性の家族は救われたのか、結果はわからないままだ。シュレーディンガーの猫みたいだ、と思った。
この時ふと、Aちゃんは猫なのではないか、という考えが脳裏に浮かんだ。Aちゃんだけではない。BちゃんもCちゃんも、猫なのではないか。勝手に人間の子どもだと思い込んでいたが、そんなことは一言も言われていない。今思えば、覆面の手は引っかき傷が複数あった。「家族」とは猫のことだったのだ。きっとそうだ。
私は少しホッとした。
それが何を意味するか突きつけるように、道端にいる猫が私を睨んでいた。
☆
※これは創作です。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)