電話で「女であること」のメリットとデメリット
新入社員の仕事の1つが「素早く電話に出ること」。
電話に出る回数が多くなる。
電話に出る回数が多いと、たまに興味深い発言が聞けたりする。
1:「あ、女の人なんだ」
別の新入社員が電話をとった。
「担当の者に繋ぎます」と言って、担当の私にまわってきた。
「お電話かわりました」
「あ、女の人なんだ。まぁいいや、あのね・・・・・・」
男が出ると思っていたのに、女が出た。
予想と違ったということを表しているのが「あ、女の人なんだ」という言葉。
期待はずれだったのかもしれない。
2:「女の人ではダメなんじゃないの」
以前クレームの電話がきたことがある。
そのクレームに対応した。
もう解決したと思っていた。
忘れかけていた頃にまた同じクレームがきた。
まだ解決していなかったのだ。
「申し訳ありません」
「ちゃんと対応してくれた?」
「はい」
「やっぱり女の人ではダメなんじゃないの」
「・・・・・・」
男の先輩とペアを組んで仕事をしている。
そのクレームの解決策を実行したのは男の先輩だった。
でも、電話対応は私。
だから電話の相手は私が実行したと思っている。
そして、女だからダメだと言う。
解決できていなかったことはこちらに非がある。
でも「女」に非はない。
ただ、(性別関係なく)私たちがうまく仕事をできなかっただけだ。
3:クレームが優しくなる
これは女の先輩に聞いた話。
電話には明るい声で出たほうがいいよ。
クレーム対応しているときに、明るい声で対応していたら、「女の子にこんなこと言うのはかわいそうだけどさ」って、最後は優しくしてくれたよ。
こんな体験談を語ってくれた。
明るく電話に出たほうが良いことは理解している。
そして、たぶん、女であることが優しくされる理由になることもあるのだと思う。
だから先輩の言うことに何の反論もできない。
でも、モヤっとする気持ちは消えない。
仕事をしていると、小さなモヤモヤが溜まっていく。
ブログに書くと、少しモヤモヤが消える。
電話で「女であること」のメリットは、優しくされることもある、ということ。
デメリットは、「男じゃないのか」とガッカリされること、頼りないと思われること。
女だと思って仕事することはないけれど、女であるという事実が、仕事に少なからず影響することを日々実感している。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
同性婚について思うこと
アメリカの全州で同性婚が合法となった。
同性婚について考えていたことを書こうと思う。
私は大学生のとき、東大のセクシュアルマイノリティサークルに所属していた。
そのサークルで感じたこと。
それは同性婚が話題になることはほとんどないということ。
これは私にとっては意外なことだった。
様々なセクシュアリティの人がいるサークルだから、同性を好きなる人もいれば、そうではない人もいる。
それでも、同性を好きになる人が多くいるサークルだ。
同性婚に関心のある人は多いだろうと思っていた。
なぜ同性婚の話にならないんだろう。
疑問に思ったので聞いてみた。
「同性婚についてどう思いますか」
ゲイの先輩は言っていた。
「日本でも認められたら嬉しいけど、特に何かしようとは思わないかな」
認められたら嬉しい。
でも、認められなくても仕方ないか、という諦めたような気持ちが感じられた。
どうせ日本では無理だよね、と言っている人もいた。
現実的でないことを考えるよりは、今ある制度(公正証書とか)を最大限に活用して、うまく生きていく方法を考えたい、と言っている人も。
一方で日本での同性婚の実現を切実に願っている異性愛者の友人もいる。
あと、忘れがちだけれど、そもそも同性婚の実現を望んでいない同性愛者もいる。
私は結婚という形にはこだわらないけれど、同性カップルか異性カップルかで与えられる権利が違う状態が改善されたらいいなと思っている。
だから、日本でも同性婚が実現されたらそれは素直に嬉しい。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
バイセクシュアルは器用?
「男と女、どっちが好きなの?」
先輩に聞かれた。
「どっちも、です」
「バイセクシュアルってこと?」
「はい」
「器用だね」
(器用!?!?!?!?)
驚いた。
器用だと言われたのは初めてだった。
バイセクシュアルであること=器用 という図式が私の頭の中では成立しなかったので、goo辞書の国語辞典で「器用」の意味を調べてみた。
1 からだを思うように動かして、芸事・工作などをうまくこなすこと。また、そのさま。
2 要領よく、いろいろな物事を処理すること。また、そのさま。
3 抜けめなく立ち回ること。また、そのさま。
4 不平不満なく、受け入れること。いさぎよいこと。また、そのさま。
5 すぐれた才能のあること。また、その人。
意味を聞いて確認したわけではない。
が、おそらく先輩は2の意味で器用と言ったのだと思う。
「男とも女とも恋愛できるなんて、すごいね」という程度のニュアンスだろう。
たしかに、男を好きになることも、女を好きになることもある。
でも、好きになったからといって、「器用」に恋愛しているわけではない。
そもそも付き合う段階までいかなかったり、付き合えてもうまくいかなかったりする。
器用なら、2倍恋愛している。
不器用だから、2倍失恋している。
器用だなんてとんでもない。
バイセクシュアルであるということと、器用か不器用かは関係ない。
バイセクシュアルは、ときめく可能性のある人が2倍に増えているだけだ。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
セクシュアリティをオープンにしてから抱えている矛盾した思い
私は自分がバイセクシュアルだということを隠してはいない。
オープンにしてからラクになった。
カミングアウトする前に私のセクシュアリティを知っている人もいる。
恋愛の話もしやすくなる。
情報発信もしやすい。
一方、不都合だと思うこともある。
それは、「誰が私のセクシュアリティを知っていて、誰が知らないのか、わかりにくくなった」こと。
限られた人にしかカミングアウトしていないのであれば、基本的にはカミングアウトした相手だけが知っているということになる。
(カミングアウトした相手がアウティングをしなければ)
でも、こうやって情報発信をしたり、カミングアウトした相手にも「隠していないよ」と言ったりしていると、ネットで知ったり、噂で聞いたりして、私が直接カミングアウトした人以外でも私のセクシュアリティを知っている人が出てくる。
カミングアウトをしていない人と話すときは、基本的には私のセクシュアリティを知らないという前提で話す。
でも、「知ってたよ」と言われることがある。
少し驚く。
誰が伝えたんだろうと、気になる。
「この人から聞いたよ」と名前を挙げてくれることもあれば、「噂で聞いた」とごまかされることもある。
オープンにしている以上、こうなるのは仕方ない。
それはわかっている。
矛盾しているとわかっているけれど、それでも“誰が知っているかは知っておきたい”という思いはある。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
「名前を見て、男だと思いました」
以前、
「苗字から想像する性別」
http://kyuuchan.hatenablog.com/entry/2015/06/16/233649
というブログを書いた。
苗字は性別を表さないが、名前は性別を表すことが多い。
(「名前は性別を表すのか」
http://kyuuchan.hatenablog.com/entry/2015/06/15/001636
)
先日、仕事で会った人におもしろいことを言われた。
「最初にメールを見たとき、男の人だと思いました。電話で女の人だとわかって驚きました」
「なぜメールで男だと思ったんですか」
「名前の読み方をわざわざ書いていたからです」
私はメールの最後にこのような署名を入れている。
******************************
株式会社○○ ○○部
矢野 友理(やの ゆうり)
〒○○ ○○
TEL:○○ FAX:○○
Mail:○○
URL:○○
******************************
最初はローマ字で「Yuri Yano」と書いていたが、読み方を「ゆり」だと勘違いされる可能性が高いため、平仮名で書くことにした。
私を男だと思ったと言った人は、漢字だけだと「ゆり」と読んで女だと思うが、「ゆうり」と読むことをわざわざ書いているから男だと思ったらしい。
男で「ゆり」という名前は珍しい。
「ゆうり」という名前は「ゆり」よりは中性的な名前だと思う。
私は「ゆうり」という名前は女の名前だと思い込んでいた。
ジャニーズに「ゆうり」という名前の人がいて、男で「ゆうり」という名前は珍しいなと思っていた。
名前に不満があるわけではないが、できればもう少し中性的な名前がよかったと思うこともあった。
でも、仕事中に名前を見て男だと思ったと言ってくれた人がいた。
嬉しかった。
男だと思われたことではなく、自分の名前が、自分が思っているより「女」を表していないのかもしれない、と思えたことが嬉しかった。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
「(気が利く)女の子がほしかった」
仕事で会った人が言っていた。
「女の子がほしかった」
「娘さん、いらっしゃらないんですね」
とりあえず反応してみた。
相手はこう語った。
「そうなの。女の子は気が利くでしょ?猫でもメスのほうが気が利くのよ。人間も猫も、女の子は男の子より気が利くからいいの」
立場上、「そうですね」と相槌を打つべきところだが、言うのは憚られた。
少し顔が引きつっていたかもしれないが、笑顔でにこにこしていた。
代わりに先輩が「そうですね」と言ってくれた。
疑問が残る。
「女の子がほしかった」と言ったのはなぜなのか。
話を聞く限り、「女の子がほしかった」のではなく、「気が利く子がほしかった」のだと思えてならない。
さて、望み通り女の子が生まれてきたとする。
その女の子は、女として生まれてきたというだけで、「気が利く」ことを期待される存在である。
誰かに何かを期待するということは、誰かを「期待される存在」にしているということである。
私は自分が「期待される存在」になると、嬉しさよりも重荷だと感じることが多い。
だからあまり期待しない。
誰かに重荷を背負わせないように。
期待しても、期待に応えてくれるかどうかはわからない。
裏切られることもある。
期待しなければ裏切られることもない。
性別に何かを期待している人は、その期待が裏切られたら、どのように感じ、どのような反応をするのだろう。
「女=気が利く」という図式は、その人の思い込み。
当然のことだけれど、気が利く男もいるし、気が利かない女もいる。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
あなたは何に色気を感じるのか
先週、肩が出る服を会社に着ていったら、先輩に言われた。
「今日はセクシーだね」
「肩が出ているからですかね?」
セクシーだと言われたことがないため、戸惑った。
色気がないことは自覚している。
色気がない人が、一般的に「色っぽい」と思われる服を着たら色気が出るのかと言えば、必ずしもそうではない。
常に色気がある先輩が会社にいる。
その先輩は、どんな服を着ても色気がある。
身体、顔、表情、声、しぐさ、汗、涙、服、化粧、アクセサリー。
あなたは何に色気を感じるだろうか。
単体ではなく、トータルで感じるものだとは思うけれど、色気と一番強く関係する要素を探ってみると面白そうだ。
(ちなみに私は一重の目に色気を感じる)
さて、最初の話に戻るが、自分に色気があるとは思えなくて「セクシー」と表現されたことにずっと違和感を覚えていた。
でもそれは私の勘違いだと気づいた。
先輩が言っていたのは、
「今日は(私が)セクシーだね」
ではなく、
「今日は(着ている服が)セクシーだね」
だったのだ。
納得。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
同性にフラれても言い訳できる
(2015/6/8のブログ)
「好きなタイプは?」
飲み会でよく聞かれる。
会社の人の中で一番好きなタイプは誰かを聞かれた。
女は言えた。
男は言えなかった。
このときだけではない。
たいてい、女の好きな人のほうが言いやすい。
理由は2つ。
1:「どうせ付き合えないだろう」と諦めているから。
好きな相手が異性愛者だったら、付き合える可能性は低い。
最初から諦めている場合、サラッと言える。
2:フラれても、言い訳ができるから。
自分にも他人にも言い訳ができる。
あの人は異性愛者だから、付き合えない。
残念だけれど、仕方ない。
私に魅力がないわけではなく、「性別」の問題なのだ。
こうして面目を保てる。
ショックもあまり受けずにすむ。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
同性愛者の子育てに反対された
(2015/6/7のブログ)
会社の同期(男)と同性愛について語り合ったときのこと。
「子どもほしい?」
質問された。
「ほしいよ」
「相手が女だったとしても?」
「うん。できるものならね」
「同性愛者の子育てについてはどう思う?」
「いいんじゃない」
彼は、同性カップルの子育てには反対だという。
理由を聞いてみた。
ゲイカップルは男の役割しか果たせない。
レズビアンカップルは女の役割しか果たせない。
片方の性別の役割しか果たせないから、反対。
男の役割って何?
女の役割って何?
疑問をぶつけてみた。
彼は説明した。
男女で脳が違うという研究がある。
脳だけではない。
たとえば、筋肉も男のほうがある。
「高い高い(子どもを抱き上げるやつ)」とか、女はできないだろう。
「それだけ?」
「いや、すぐに具体例が出てこないだけ」
実際に同性カップルに育てられて幸せに育った人もいる。
それは彼も知っている。
ただ、統計データがあるわけじゃない。
一例だけで結論を出すことはできない。
これには納得した。
でも、片方の性別の役割しか果たせないから、同性愛者の子育てには反対というのはどうしても納得できない。
「つまり母子家庭や父子家庭も良くないってことだよね?」
「僕は理想的ではないと思っている。
実際に、一人親家庭の子どものほうが苦労する(もう少し具体的な内容だったが忘れてしまった)という統計データもあるし」
(彼はスマホで検索し、統計データを私に見せた)
「それは、片方の性別の役割しか果たせないから、ということが理由だとは限らないよね。
いろんな要素が絡んでいて、原因を特定するのは難しいと思う。」
「それはそうだね」
わかりあえる部分はわかりあった。
でも、そもそも価値観が違ってわかりあえない部分も当然あった。
結局お互い価値観が違うね、ということなのだが、彼のように、ズバッと意見を言ってくれる人は少ない。
私がバイセクシュアルだということを知っていて、このような議論をしてくれるのは本当にありがたいことだ。
正直、不快に思ったり悲しくなったりしたこともなかったわけではないが、概ね楽しく話ができた貴重な時間だった。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)
人によって違う「セックスの定義」
(2015/6/6のブログ)
昨日、健康診断があった。
最初にいくつか質問される。
最後の質問がこれ。
「性交渉の経験はありますか」
有・無
どちらかに○をつける。
一瞬「有」に○をつけそうになった。
少し考えて「無」に○をつけた。
ここでは男性器を女性器に挿入したことがあるかどうか、を問われている。
女同士のセックスは、ここではセックスではないんだろうな、と思いながら○をつけた。
セックスの定義は、人によって違う。
健康診断が終わったあと、会社の同期に言われた。
「きゅうりは、定義によっては処女だよね」
世間一般で言う処女に、たぶん当てはまる。
だから、「そうだね」としか言えない。
以前知人が次のようなことを言っていた。
会話はお互いの思考や思想が混ざり合って新たな思考を生み出す。
これは「広義のセックス」なのではないか、と。
会話も定義によってはセックスになりうる。
たとえば「手をつなぐこと」をセックスだと定義する人がいても、それを否定することはできない。
私のセックスとあなたのセックスは違う。
そして、私の中の定義も変わっていく。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)