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日常の考察

「不幸中の幸い」ではなく、「不幸は幸い」

今回のブログでは、タイトルにもあるとおり、「“不幸中の幸い”ではなく、“不幸は幸い”だ」という話をします。

 

何のことを言っているのかというと、今の私の状況のことです。コロナ後遺症で体調があまり良くない、今の状況です。

 

もちろん、体調が良くないことを本気でハッピーだと思っているわけではありません。あくまで、不幸は不幸です。

 

ただ、不幸は不幸でも、捉え方は人によって違うでしょう。私はこれまでずっと、自分の状況は「不幸中の幸い」だと思っていました。コロナに感染してしまったのも後遺症があるのも不幸ではあるけれど、命に別状はなく、軽症で済んだからです。

 

でも、ある話を聞いて、私の状況は「不幸中の幸い」なのではなく、そもそも「幸い」なのだ、と捉え直すようになりました。

 

ある話というのは、ユダヤ人の成功哲学のひとつとして知られる「あるラバイの最悪で最良の災難」というお話です。

 

※こちら↓のサイトを参考にさせていただきました。

【子供でも分かる昔話】人生最悪の状況を乗り切る思考法&おすすめアクション5選 | リベラルアーツ大学

 

詳しくはリンク先をご覧いただければと思いますが、以下、話の内容をざっくり紹介します。

 

あるラバイが犬と羊を連れ、聖書を読むためのランプを携えて旅をしていました。1日歩き続けた夜、ラバイは粗末な納屋を見つけ、そこに泊まることにしました。

 

ところが、その夜は悪いことが重なり……

 

まず、寝る前にランプを灯して聖書を読もうとしたところ、まだ残っていると思っていたランプのオイルが切れて、灯りが消えてしまいました。

 

また、連れていた犬が毒虫に咬まれて死んでしまいました。さらに、オオカミが来て、羊を殺して食べてしまいました。

 

翌朝、ラバイは空腹のまま出発しました。

 

ある村の近くに来ると、ラバイは村人が惨殺されていることに気づきました。前の晩に盗賊がやってきて村を襲ったのです。

 

もしランプが消えていなければ、ラバイも盗賊に見つかっていたはずです。もし犬が生きていたら、キャンキャン吠えて、やはり見つかっていたでしょう。もし羊が生きていたら、騒いで音を立てていたに違いありません。

 

全てを失っていたからこそ、自分は助かったのだとラバイは思いました。

 

そして、

「どんなに災難が降りかかろうと、人は希望を失ってはいけない」

「最悪なことが最良のことだと、信じなければならない」

と深く悟ったのでした。

 

以上が、「あるラバイの最悪で最良の災難」というお話の概要です。

 

悪いことが重なっているように思えても、実はそのおかげでもっと悪い事態から救われているかもしれない、ということですね。たしかにそう考えると前向きになれる気がしてきます。

 

何が「幸い」なのか

「あるラバイの最悪で最良の災難」というお話からわかるように、悪い出来事が起こらなかったらもっと悪い状態になっている場合、その悪い出来事は実際には悪い出来事ではなく、良い出来事だったということになります。

 

そう考えると、やはり私の今の状況は「不幸中の幸い」ではなく、「幸い」です。というより「幸い」に「しています」。

 

「不幸中の幸い」は、悪い出来事は悪い出来事だとした上で、それよりもさらに悪い出来事もあり得るから比較的マシだったと捉える言葉です。

 

それに対し、私の言う「不幸は幸い」は、そもそも自分が悪い出来事だと思っていたことは実際には悪い出来事ではなくて、結果的には良い出来事だった、という意味です。

 

私は、コロナ感染もコロナ後遺症も、絶対に「幸い」にする!と強く自分に言い聞かせています。そして、実際、「幸い」になってきています。

 

「幸い」になるポイントは、次の3点です。

 

1:時間がたっぷりできた

体調が良くないので、動ける時間は短いですし、できることも限られていますが、とにかく時間だけはたっぷりあります。それによって、「やりたかったけど、時間や心に余裕がなくてできなかったこと」ができるようになりました。

 

具体的には、

・カメ子(飼育しているミシシッピニオイガメ)とのコミュニケーション

・小説を読む

・将来についてじっくり考える

などです。

 

また、このような状況になったからこそ、アナグラム作成という新しい趣味ができました。

 

上に挙げたことは、仕事に追われていると、どうしても「優先順位が高くないもの」として切り捨ててられてしまいます。仕事だけに時間がとられてしまい、優先順位を高くしたくてもできない状態になってしまうのです。

 

それが、「幸い」にも仕事ができなくなったので、取り組めるようになりました。(もちろん、体調の許す範囲ではありますが。)仕事を続けていたら、この先もずっとやらないまま人生を終えていたかもしれません。

 

2:本当に好きなことがわかった

倦怠感や息苦しさなどの症状により、「ご飯を食べる」「トイレに行く」といった日常のちょっとした動きですら、しんどいこともあります。それでも、「文章を書きたい欲」だけは、ずっとありました。(だからこそ、今ブログを書いています。)

 

体調が良くなくてもやりたいということは、よほど好きなんだな、と思いました。

 

アナグラム作成も楽しくて、横になりながらもついやってしまうので、「文章を書くのが好き」というよりは、もう少し幅を広げ、「言葉を使って作品を生み出すのが好き」と表現した方が的確かもしれません。

 

とにかく、体調が良くないからこそ、自分が本当にやりたいこと・好きなことを改めてしっかり認識することができました。

 

仕事を続けていたら、目の前の仕事のことしか考えられず、本当にやりたい「欲」に蓋をしてしまっていたでしょう。

 

3:「最悪の場合」のシミュレーションができた

たぶん、私に限らず多くの人がそうだと思うのですが、将来に対する漠然とした不安があります。そして、その不安にきちんと向き合わないまま、これまで過ごしてきました。

 

不安はその内容を把握すれば、ある程度解消されます。私は、コロナ後遺症ですぐ仕事に復帰することが難しいとわかってから、「最悪の場合」のシミュレーションをするようになりました。

 

数週間、数ヶ月で全快すれば問題ありません。

 

では、もし1年後も回復していなかったら?

何年経っても回復しなかったら?

一生回復しなかったら?

回復するどころか悪化していたら?

どうやって生きていく?

出費をどうやって抑える?

どうやってお金を稼ぐ?

どんな制度を利用する?

 

こんな感じで、あえて、できるだけ悪い方へ悪い方へと考えてシミュレーションするようにしました。そうすることで、最悪、ダメダメな状況になってもなんとかなりそう、と思えて、安心できました。

 

シミュレーション自体は働いている人でもできますが、調子の良い時はなかなか本気で「悪い方へ」は考えづらいものです。どこか他人事になってしまうからなのでしょう。実際、私もそうでした。

 

その点、今の私は自分の将来がかかっているので真剣です。こうして最悪の場合のシミュレーションをしておけば、今後調子が良くなった時に、漠然とした不安に惑わされることなく行動できるのではないかと思います。

 

仕事を続けていたら、本気でシミュレーションすることなく、漠然とした不安を抱え続けていたことでしょう。

 

 

以上、私の「幸い」3点でした。

 

調子の悪い人は特に、参考にしてみてください。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)