微男微女

日常の考察

デスノートと東京医科大学の事件について

「今更?」と思われるかもしれませんが、中田敦彦さんのYouTube大学でデスノートが紹介されていて、これは面白そうだと思い、LINE漫画で購入しました。日曜日の夜でした。最悪のタイミングでした。面白過ぎて寝るのも忘れて読み続けました。朝方4時頃、さすがに徹夜はまずいと思い、無理やり布団に入って2、3時間だけ寝ましたが、起床後もとにかく漫画が読みたくてうずうずしていました。

 

そして平日の通勤時間などを使い、1週間かけて全12巻を読み終えました。

 

超有名な作品なので、もちろんタイトルは知っていましたが、漫画を読んだこともなければ、映画やアニメなどで見たこともなく、知っていることと言えば、「デスノートに名前を書くと、その人が死ぬらしい」くらいでした。

 

私はいつも流行りに乗り遅れるタイプなのですが、流行っている最中は手にしなくても、後に何らかのきっかけで触れることになり、どっぷりハマる、ということが良くあります。その度に「流行るには流行るだけの理由がある」と思わされます。なんだかんだ、流行る作品は名作であることが多いです。

 

さて、デスノートを読んでみてどうだったかというと、まず率直に、Lとキラの頭脳戦が面白かったという月並みな感想が出てきます。そしてその次に思ったことは、これも月並みですが、もしデスノートが実際にあったら、自分や周囲の人は使うだろうか、ということです。いろいろと考えさせられますよね。

 

自分が使うかどうかはさておき、私は主人公の夜神月(やがみライト)=キラはすごく“人間らしい”と思いました。能力こそずば抜けていて非現実的な感じはするものの、考え方や行動はいかにも「THE人間」という感じがします。

 

プライドが高いところも人間らしさの一部だと思いますし、何より「自分のために」躊躇なくノートを使っていることが、すごく人間っぽいです。彼の思想や行動を肯定するつもりはありませんが、自分の理想とする世界をつくるため、自分が直接手を下さなくても、“不要な”人間を消すことができる“便利な”ノートを思う存分使っていくところ……いろいろと理屈は述べていましたが、結局のところ「自分基準で他人を裁く」ところ……まさに「人間」です。

 

一方、主人公の周りの人間はどうでしょうか。父親の夜神総一郎(警察庁の局長)だったり松田や相沢などの捜査本部の人だったり、一見まともそうで“普通の”人間っぽく見えますが、私は、この人たちの方が、人間らしくないと思いました。

 

どういうところが人間らしくないのかというと、命をかけてキラ事件の捜査をしているところです。漫画だと「命をかけて戦う」ことが設定上あたり前になりすぎている節があり、それが特別すごいことだと思いにくいですが、「殺されるかもしれない」という状況で、キラ事件に関わらない選択をすることもできるのに、それでもなお、キラを捕まえようとするのは、ものすごく勇気のいることです。そこまでできる人は、世の中にどれだけいるでしょうか。実際、警察の人が自分の命を惜しんでキラ事件に関与しない部署への異動を希望するシーンもありました。それが“普通の”選択だと思います。

 

極端な思想と非現実的な能力を持つ主人公が実は一番人間らしく、正義感あふれるサブキャラが実は人間らしくない、ということですね。それも、この作品の魅力の一つなのかもしれません。そして、非現実的だとわかっているのに、どこか主人公に共感してしまう自分もいて、いつの間にか「負けないでほしい」と応援すらしてしまっている、という現実が、怖くもあり、面白くもありました。

 

さて、ここから急に現実の話になりますが、2018年に文部科学省の元局長が東京医科大学に息子を裏口入学させた、という事件をきっかけに、東京医科大学が女性の点数を一律減点していたことが発覚したニュースがありました。皆さん、覚えていますか。その後も複数の大学で不適切な得点調整をしていることが明らかになり、かなり話題になったので、記憶にある人が多いかと思います。

 

これについて、私は、なんてひどいニュースだろうと思いました。そして、ほとんどの人が私と同じようにひどいニュースだと思っているに違いない、と思っていました。ところが、私は知り合いから信じられない話を聞いてしまいました。

 

何を聞いたかというと、この事件について「ラッキー」だと思っている人がいる、ということです。この事件で有利な立場になった人(男性の受験生)や、その人と近い関係にある人は、この事件について「恩恵を受けてラッキーだった」としか思っていなかったことを、耳にしたのです。

 

ショックでした。

 

でも、同時に、妙に納得している自分もいました。たとえば、一般論として「贔屓は良いことか悪いことか」と聞いたら「悪いことだ」と答える人でも、自分を贔屓してくれる人を否定はできないのではないでしょうか。それと同じで、人間は基本的に自分勝手な生き物なのだと思います。死神リュークも、その点に人間の面白さを見出していたのでしょう。


今回、デスノートを読んで、約3年間の医大事件のことが思い出されました。


医大事件における一部の人の「自分さえ良ければ良い」「自分が有利になるのであれば、平等・公平でなくても構わない」という本音と、デスノートにおける主人公夜神月の「自分基準で他人を裁き、理想の世界をつくる」という思想。通じるものがあると思います。《どこまでも自分本位である》という点において……。


というわけで、作品の中で、デスノートについて「並の人間ではビビッてしまってノートにあまり名前を書けない」という話がありましたが、私はそんなことないんじゃないかなー、と思っています。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)