もし今後一生髪が伸びないとしたら
一昨日、髪をばっさり切ってきました。もともとショートヘアなのですが、さらに短くし、量も減らしてさっぱりしました。
ところで皆さん、こう思ったことはありませんか。
「髪ってなんで毎回伸びてくるんだろう」と。
私も髪を切ってもらっている間にふと思いました。
「髪ってなんで毎回伸びるんだろう。伸びてこなければ、毎回散髪するという面倒なことはしなくて済むのに。」
よく考えてみてほしいのですが、美容院に行って理想の髪型にしてもらったとしたら、その瞬間がベストなわけですよね。でも、実際には毎日少しずつ髪は伸びていきます。言い換えれば、毎日少しずつベストな髪型から遠ざかっていくということです。こんな理不尽なことがあって良いんでしょうか。
ただ、同時に、「もし今後一生髪が伸びないとしたら……」と考えると、怖くなりました。もし今後一生髪が伸びないとしたら、こんなに気軽に美容院に行って髪を切ることはできないでしょう。髪を切るのに、この上ないほど慎重になると思います。
だって、一度切ったらもう伸ばすことはできないってことですよ?
今より短くすることはできても、長くすることはできないとなったら、髪を切るのはものすごく怖いですよね。たった1ミリのカットでもすごく勇気がいります。
私はもともと髪に対するこだわりが希薄なほうで、切る理由は、「長いと邪魔だから」であり、染める理由は「気分転換したいから」です。髪に対してそんな扱いをしてきた人間です。でも、そんな私ですら、一生伸びないと言われたら切るのにかなり躊躇すると思います。
そう考えると、毎日少しずつ髪が伸びてくれるおかげで、気軽に美容院に行くことができ、都度、様々な髪型にチャレンジできるとも言えますね。そんなあたり前の事実に今更ながら気づかされました。
つまり、髪は毎日少しずつ伸びる=「やり直しがきく」からこそチャレンジできるということです。髪が一生伸びない=やり直しがきかないと、チャレンジはとても怖くなります。
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ところで、「人生」ってやり直しがきくんでしたっけ???
何歳になってもチャレンジできる。
人生は何歳だってやり直しできる。
というポジティブな言葉は世の中にあふれています。
それもそのはず。メッセージとはそもそも本質的にポジティブなものだからです。
でも、実際のところ、どうでしょうか。たしかに「何歳になってもチャレンジできる」というのは、ある程度事実だと思います。でも「人生は何歳だってやり直しできる」はさすがにちょっとポジティブに言い過ぎな気がします。
世の中の大半の人がチャレンジすることに躊躇し、リスクをとることができないのは、それが一生伸びない髪を切ることと同じような行為だからです。失敗したら取返しがつかないからです。(厳密に言えば、取返しがつく場合もありますが、つかない場合もあります。)“時間が経てばまた伸びてくる”髪でさえ、ばっさり切るのに勇気がいる人だっています。まして、それが人生を賭けたチャレンジだったら……躊躇するのも無理ない話だと思います。
ただ、あえてポジティブに語るとしたら、2点、言えることがあります。
1点目は、もし一生髪が伸びないとしたら、人工の髪で工夫するようになったり、髪が伸びる薬が開発されたりするだろう、ということです。きっと、そういう世の中になっていくと思います。(今もかつらが売られていたり、髪の毛のことで悩んでいる人のための薬や医療など、あると思いますが……)他の選択肢、代替手段がたくさん出てくるはずです。同じように、人生にも実は自分が気づいていない選択肢がたくさん転がっていると思います。私は視野が狭い人間なので、そういう他の選択肢が視界に入っていないことが多く、この点は改善していかなければならないと認識しています。私と同じような人は多分結構大勢いると思うので、一緒に気をつけていきましょう……。
2点目は、「やり直しがきかない」からこその良さがあるということです。髪が一生伸びないとしたら、さすがの「髪へのこだわりが希薄」な私でも、めちゃくちゃ真剣に髪型を決めると思います。同じように、人生はやり直しがきかないからこそ、みんな真剣に生きているんだと思います。
やり直しがきく人生だとして、それを心からラッキーだと思えますか?
私は、そんな人生だったら、たしかに便利だけど、つまらなさそうだなって思います。
誤解してほしくないのですが、私は、失敗してもそれで「人生終わり」とならない社会であってほしいと思っています。一度失敗したら、単に「失敗した」という事実以上に社会的なダメージを受けるような世の中は、とても生きづらいです。ただ、ここで言う「やり直しがきく人生」というのはそういうことではなく、時間が経てば自然に髪が伸びてくるように、失敗がなかったことになるような、そんな人生のことです。
以上、髪を切ってもらいながら私が考えたこと、でした。
物理的に軽くなったはずの頭が、なぜかずっしり重たいです。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)