微男微女

日常の考察

仕事ならすぐできることが、プライベートだとできないのはなぜだろう

タイトルに心当たりはありませんか。

「仕事ならすぐできることが、なぜかプライベートではできない」という現象、私はしょっちゅう経験しています。

 

たとえば仕事を終え、家に帰った時。ポストを開けて中を見ると、大事そうな封筒があることに気づきます。そこで封筒を手に取り、家に入ります。この時点で既に「面倒だな」という気持ちになっていますが、それはさておき、いったん封筒を机の上に置き、お風呂とご飯を済ませます。

 

あとは寝るだけ、という状態になったら、封筒を開けます。中を見ると、申請手続きをしなければならない書類が入っています。それはコロナの給付金の申請だったり、マイナンバーカードの申請だったり、その時によって内容は異なりますが、いずれにしても何かしら記入をして封をし、ポストに投函しなければなりません。面倒です。記入する内容も、氏名や住所だけなら簡単ですが、口座情報が必要な場合は通帳を確認しなければなりませんし、顔写真が必要な場合は写真を探すところから(場合によっては撮影するところから)始めなければなりません。めちゃくちゃ面倒です。やっとくつろげると思ったのに、こんなことをしなければならないなんて。溜息が出ます。

 

でもよくよく考えてみたら、作業自体は難なくできるはずです。仕事だと思えば一瞬で片付くはずなのに、なぜかできない、という現実。

 

「仕事ならすぐできることが、なぜかプライベートではできない」現象が発生するのは、申請手続きに限りません。書類のファイリング、机の整理整頓、掃除など。どれも仕事だったら簡単にできます。仕事と比べたら、はっきり言って難易度はかなり低いです。でも、プライベートだとできないのです。

 

理由は、主に3つ考えられます。

1つ目はモチベーションの問題で、仕事はお金が発生しているし、やらなければならないことだからやるけれど、プライベートはそうではないからやる気にならないというシンプルな理由です。人は基本的に強制されなければ動かない生き物なのです。

 

2つ目は、面倒だから、というこれまたシンプルな理由です。もう少し掘り下げると、「比較」の問題と言えるかもしれません。どういうことかというと、仕事は取引先との交渉やクレーム対応など、疲弊するようなことがたくさんあります。そういった他の仕事の大変さと比較すれば、「答えがわかっていて、ただ作業するだけ」の申請手続きやファイリング、掃除などは非常にラクにこなせる仕事だと言えます。

一方、プライベートでは何が比較対象となるかというと、娯楽だったり、のんびりする時間だったり、とにかく自由に過ごせる時間です。そんな幸せな時間と面倒な作業とを比較したら、どちらに軍配が上がるかは聞くまでもありません。(試験前日に掃除したくなるのは、これが理由だと思っています。)

 

3つ目は、これが一番重要で、かつコントロールがきくものだと思っているのですが、「今この時間は何の時間なのか」という自身の認識とギャップがあることです。ギャップが大きいほど、それをするハードルは高くなります。


具体的に説明すると、会社にいる間は仕事をするものだという認識があるので、面倒な作業をすることになっても認識とのギャップはほとんど生じません。でも、プライベートでは自由に過ごせると思っていたのに面倒な作業をしなければならなくなったという認識なので、ギャップが生じます。それゆえに、難易度が高くなってしまうのです。


つまり、難易度とは、その作業自体の難易度だけで決まるものではないことがわかります。難易度は「認識とのギャップの大きさ」との掛け合わせで決まるものです。「実行する難易度=作業自体の難易度×認識とのギャップの大きさ」なのです。

 

「何事も習慣化すると難易度が下がる」と言われているのは、まさにこのためだと思います。習慣化すれば、その時間はそれをする時間だという認識になるので、ギャップは生じず、行為自体の難易度が高くなければすんなりできるようになります。

 

理由の1つ目と2つ目は、コントロールがあまりききませんが、3つ目の理由はコントロール可能です。そのため、いかにやるべきことを「習慣化」し、認識とのギャップをなくしていくかが、鍵になります。


習慣の積み重なりが人生をつくっていきます。まずは日々の習慣を見直すところから、ですね。今日は金曜日なので、土日に改善案を考えるつもりです。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)