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日常の考察

体調不良で何がつらいのか

最近、何回か謎の吐き気に襲われています。端的に言って、困ります。困りながらも、少しだけ考えたことがあるので、今回は「体調不良で何がつらいのか」というテーマで書いてみようと思います。

 

体調不良になって嬉しいという人は滅多にいないと思うので、体調不良になることは基本的に嫌なことである、ということは多くの人の共通認識だと思います。ただ、体調不良が厄介なのは、体調不良であることそれ自体が嫌だ、というだけではないところにあります。

 

もちろん、体調不良になったら身体がしんどいですし、痛みがある場合は、一刻も早く鎮まってほしいと願いながら、耐え続けることになります。ここは地獄かと思うくらい苦痛な時もあります。つまり、言うまでもないことですが、体調不良はそれ自体がすごく嫌です。これは共通認識としてあると思います。

 

でも、それだけではなく、体調不良から派生した「嫌なこと」もいくつかあります。大きいところで言うと、時間が削られることでしょう。体調不良で寝込んでいたら、その間何もすることができません。仕事に行けない、家事ができない、買い物に行けない、など。やりたいこと/やるべきことができないまま、時間だけが過ぎていきます。

 

さらにそこから派生して周りの人に迷惑をかけて申し訳ないという心理的負担もあります。仕事を休んだ場合はその分フォローしてくれる人に負荷がかかりますし、業務が滞って関係者に迷惑をかけてしまうこともあります。迷惑をかけておきながら被害者ぶるな、と言われてしまうかもしれませんが、事実として、こういう心理的負担は多くの人が感じているはずです。

 

と、長くなりましたが、ここまでが一般論です。ここからが、本題です。

最近吐き気に襲われながら、上記の内容とはまた違う「申し訳なさ」があることに気づきました。最初に書いた「申し訳なさ」というのは、一言で言えば「迷惑をかけてしまっていること」への申し訳なさです。では、それとは別の申し訳なさとは何なのかというと、「強制的にリアクションさせていること」への申し訳なさです。

 

友人にしろ職場の人にしろ、知り合いが体調不良だとわかったら、“普通は”心配します。「大丈夫?」「無理しないで」「お大事に」など。それが本心ではないというつもりはないので「強制的に」という言い方は語弊があるかもしれませんが、それでも、一般的に「そういうリアクションをする」以外に選択肢がない状況であることは事実です。そういう意味で、わかりやすく「強制的に」という言葉を使っているのですが、リアクションを強制させるような状況になっていることが申し訳ないのです。

 

何も、「心の底から心配しているわけじゃないのにそういうリアクションをさせてしまって申し訳ない」と言っているわけではありません。さすがにそんな人の優しさを無下にするような、ひねくれたことは言いません。私も、誰かが体調不良になったら本心から心配します。それでも、リアクションを「強制」させている状況に、申し訳ない感情が湧いてくるのです。

 

でも、そんなことを言えるのは、体調不良の度合いが比較的マシだから、というのもまた事実です。本当にどうしようもないくらいつらい時は、そんなことを考える余裕なんてありません。考えたとしても、体調のつらさであっという間にかき消されます。つくづく、人間が感じるつらさは相対的なものだなあ、と思わされます。

 

 

ところで、「若いうちに苦労した方がいいよ」「そうすると後で楽だよ」というアドバイスを聞いたこと、ありませんか。私はこのアドバイスを聞く度にモヤモヤします。これが、「若いうちに頑張ったら、後で報われてきっと良いことがあるよ」という意味なら、わからなくもないのですが、「若いうちにつらい思いをしておけば、その後つらいことがあった時に『あの頃と比べたらマシ』と思えるから、早めに経験しておいた方がいいよ」という意味だとしたら、はっきり言ってそれには賛同できません。

 

言っていることは、ある程度事実だと思います。実際に、過去につらい経験をしたら、その後に経験することが相対的につらく感じなくなる、ということはあると思うからです。上述の体調不良の話もそうで、個人が感じるつらさは「相対的」なところがあります。

 

でも、つらい思いなんてできるだけしない方がいいに決まっています。


「申し訳なさ」を感じるのが嫌だ

それを打ち消すくらいつらい思いをしよう

もっと体調が悪化すればいい

 

という思考回路、納得できますか。できないですよね。そういうことです。

以上、まとまりのない話になってしまいましたが、とりあえず早く吐き気がおさまってほしいです。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)