微男微女

日常の考察

「多様性が大事だ」と言わなければならない社会

大前提として、多様性は大事です。その上で、サイボウズの社長の青野さんのツイートをきっかけに考えたことがあるので書いていきたいと思います。

 

 

こちらが、青野さんのツイートです。賛同の意味を込めて、リツイートしました。そして、私は以下のようにコメントしました。

 

「多様性が大事であるということは、多様性が大事でないという意見も大事にしなければならない」という人がいるけど、「相容れない」考えだとズバッと言えばいいのか!

 

これ↑は、「多様性が大事だと言うなら、多様性が大事でないという意見も大事にすべき」という声に対して何も返せなかった過去の自分に対するコメントです。

 

そして、続けてこう書きました。

 

ちなみに多様性はたしかに大事なんだけど、「多様性を大事にしなきゃ」という状況になること自体本来おかしな話で、そもそも人間は多様であり、大事にしようとしなくても当然に多様であるべきというか、「多様性」と言わなきゃいけない、「大事にしよう」と言わなきゃいけない現状が残念というか。

 

このコメントをしたあとも、ずっと「多様性が大事である」という言葉について考えていて、Twitterでは自分の意見や心のモヤモヤを書ききれないと思ったので、ブログに書くことにしました。(青野さんは選択的夫婦別姓の導入に関してツイートされているのですが、私は「多様性が大事である」という言葉に焦点を当てているので、青野さんのツイートの主旨とは少し異なります。ご了承ください。)

 

繰り返しになりますが、大前提として、多様性は大事です。そして、より良い社会にしていくためにも、多様性が大事であるという発信はしていかなければならないと思っています。そういう思いがあるからこそ、青野さんのツイートをリツイートしました。

 

ただ、そうやってより良い社会にしていくための活動とは別に、一個人として率直に思うことを述べると「多様性が大事である」という言葉にほんの少しモヤモヤがあります。

 

どういうモヤモヤかというと……

 

そもそも人間は多様であり、大事にする/しないという話ではなく、「既に」多様であるはずです。そして、そんな多様な人たちは、一人一人が「人間として当然に」大事にされるべき、尊重されるべきだと思っています。

 

たとえば、女性が性別を理由に職場で差別されているとして、「多様性が大事だから」差別してはいけないのかというと、私はそうではないと思います。たしかに多様性は大事ですが、多様性が大事だから差別しては駄目なのではなく、そもそも差別してはいけないのです。

 

ゲイの方が性的指向を理由に差別される場合や、海外から来た方が国籍を理由に差別される場合も同じです。

 

また、私は体の性別が女性ですが、男性の多い会社に入社するとして、「多様性の実現のために」入社するのでしょうか。

 

あるいは、私はバイセクシュアルですが、ある組織に所属するとして、「多様性の実現のために」所属するのでしょうか。

 

人には様々な属性があり、マイノリティな属性があるとその属性に着目されがちですが、それが「多様性」という言葉で切り取られると、あたかも「多様性の実現のために」その属性があり、存在させられているような感覚、その属性自体に「多様性」という「メリット」を見出されているような感覚になります。

 

たしかに「多様性は大事」ですが、本来人間は多様であるはずですし、本来差別はいけないことのはずなのに、「多様性が大事だから」「多様性を実現しなければならないから」「多様性にはメリットがあるから」と言わなければいけない現状が残念で、モヤモヤしたのです。

 

 

ダイバーシティ推進の取り組みは大切です。必要です。現に差別されている人がいる以上、アファーマティブアクションのような措置も必要だと思います。私の言っていることは、ダイバーシティ推進のような社会的な取り組みについて語るにはあまりに狭く、感覚的です。「多様性が大事だ」という言葉に対して感じたことを述べたに過ぎません。それでも、こういう個人的な感覚を共有することには何かしら意義があると思い、書いてみました。

 

「多様性を大事に」した結果、全ての人があたり前に差別されない社会になることを願っていますし、そうなるように少しでも発信し続けていけたらと思っています。

 

ではまた!

 

きゅうり(矢野友理)