“ちゃんと”炎上する社会であってほしい
ものすごく疑問なのですが、なぜ会社で怒鳴る、無視する、セクハラする、などの言動をする人がいるのでしょうか。すごく不思議です。
なぜ不思議だと思うのかというと、3つの理由から、通常そのようなことはしないはずだからです。
まず第一に、あたり前のことですが、人としてダメです。人としてやってはいけない、という倫理観が多くの人には備わっていると思います。
次に、そのような倫理観があまり根付いていなかったとしても、分別のつく人であれば、社会的にやらない方が良いと考え、そのような言動は控えるでしょう。
そして最後に、倫理観に欠け、分別がつかなかったとしても、「損得勘定」を働かせれば、そのような言動はしないはずです。このご時世、“アウト”な言動をすることは明らかに「不利」です。もちろん、そもそも人としてやってはいけないことだと認識することが大切ではあります。これは間違いありません。でも、仮に愚かな言動を愚かな言動だと認識することができない人だったとしても、損得勘定を働かせることくらいはできると思います。そして、損得勘定を働かせた結果、「自分が不利になる」ということがわかれば、そういう言動はしないでしょう。そういう人は、「戦略家」と言えるかもしれません。
そう考えると、会社で怒鳴る、無視する、セクハラする、などの“アウト”な言動をする人は、「人としてダメで」「分別もつかず」「戦略も立てられない」人ということになります。その上、誰かに被害を与えているのです。ひどいですね。
ただ、私は3つ目の理由である「損得勘定」によって、少なくとも表面上は“アウト”な言動をする人は減っているように思います。会社でもそうですし、社会全般においても、そうだと感じています。データを見たわけではないので、あくまで実感として、ですが。
会社ではなく、社会全般の話をすると、最近はCMが炎上したり、著名人の発言が炎上したりと、アウトな発信が炎上することが多いですが、その発信自体は呆れるような内容ばかりではあるものの、炎上すること自体は良いことだと思っています。アウトな発信がされているのに炎上すらしなかったら、それはもう完全にダメな社会です。
私は、それが少し前の日本だったと思っています。今から振り返れば、炎上の嵐になるようなことがいっぱいあったことでしょう。それが、あくまで実感として、ですが、世間の考え方の変化によって少しずつ減ってきているように思います。
炎上するということは、ダメなことにちゃんとダメだと言えているということであり、世の中の人がアウトな発信をちゃんとアウトだと思っているということでもあります。そういう意味では、(もちろんそういうこと自体がなくなるのが理想ではありますが、)“ちゃんと”炎上する社会であってほしいというのが私の本音です。
ではまた!
きゅうり(矢野友理)