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日常の考察

怒りの自給自足

先日、面白いワードを聞いて頭から離れないので、ブログに書こうと思います。そのワードは何かというと「怒りの自給自足」です。

 

怒りの自給自足とは、まだ何も発生していないのに、勝手に未来を予想して腹を立てることです。たとえば、あなたが朝、人助けをして遅刻してしまったとしましょう。人助けを遅刻の理由にするなんて、いかにもフィクションという感じがしますが、あなたは本当に人助けをして遅れてしまったのです。会社に向かう途中で、上司に遅刻する旨を連絡をしようとスマートフォンを手に取ります。

 

その瞬間、あなたはこう思います。「あの嫌な上司のことだ。きっと私の人助けを信じないだろう。そして、チクチクと嫌味を言われるに違いない。ああ、腹が立つ!」と。

 

はい、それです。あなたはまだ上司から何も言われていないのに、勝手に未来を予想して腹を立てましたね? それが怒りの自給自足です。まずイマジネーションで腹を立て、その上でさらに実際に嫌味を言われたらまた腹が立つという、二段階方式。マイナスの感情をわざわざ二回も経験するなんて、バカらしいですよね。

 

それに、予想が当たらず、嫌味を言われない可能性だってあるのです。その場合、怒りの自給自足をしていなければ、一度も腹を立てずに済んだはずなのに、自ら腹を立てにいってしまっている。本当にバカらしいです。

 

ただ、バカらしい、と言っていますが、私はこの自給自足を、指摘されるまで自覚していませんでした。「怒りの自給自足ですね」と言われて初めて、「その通りだ!」と気づかされました。そして自覚してからは、怒りを含め、感情の自給自足をしていないか、セルフチェックするようになりました。

 

無意識の行為は、自覚するまでは存在感はないくせに(だからこそ“無意識”なわけですが)、言葉に落とし込まれ、自覚した途端、急に強い存在感を出してきます。認識しているかどうかの違いはかなり大きいです。私はたぶん、自給自足と言われなかったら、ずっと気づかないまま自給自足し続けていたでしょう。でも、自覚してからは、セルフチェックが可能になりました。セルフチェックが機能していれば、自給自足から容易に脱却できます。

 

もちろん、感情を自給自足することが駄目と決めつけているわけではありません。単に私があまりやりたくないと思っているだけです。中には、マイナスの感情ではなく、プラスの感情だったら、むしろどんどん自給自足すべきではないか、と思う人もいるでしょう。でも、私はそれも少し危険だと思っています。幸せな未来を予想して、ニヤニヤしたり……というのは私もやりがちなのですが、それが実現しなかった時のダメージが大きくなりますし、仮に実現したとしても、それはその“空想”の時間がなかったとしても実現したはずのことです。結果が同じなのであれば、その時間をもっと他のことをする時間に充てた方が有意義でしょう。端的に言うと「時間の無駄」ということです。

 

と、強めの主張をしましたが、「そもそも論」を持ち出すと、マイナスの感情であろうがプラスの感情であろうが、自給自足して何が悪いのかと言われたら、何も悪いことはありません。それはもう本人が自由にすることなので、外から何か言うのは野暮だと思います。

 

ただ、何はともあれ、感情の自給自足には自覚的でありたいものです。「今、自分は感情の自給自足をしているな」と思えたら、あとはそのまま自給自足を続けるか、断ち切るかは自分次第。でも、気づけなかったら、無意識に自給自足して、勝手にマイナスの時間を増やしてしまうことになりかねません。少なくとも私は自覚できて良かったと思っているので、こうしてブログで共有しました。皆さんも無意識に自給自足していないか、セルフチェックしてみてはいかがでしょうか。

 

ではまた!

きゅうり(矢野友理)